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WALKMANにハマった話


 突然だが、わたしは今WALKMANなるものにハマっている。

 しかし、わたしが持っているのはこんなにもハイテクなWALKMANではない。タッチパネル式ではなく、ついているボタンは小さく、表示画面も小さい、実にアナログなWALKMANだ。なおかつ容量も少ないので、入れられる曲数はボチボチ僅かである。そんなわたしはWALKMANをふたつ所持しているのだが、そのなかのひとつはアルバムが20つほど入るものなので、当時のWALKMAN市場からするとまさしく最先端の機器であった。

 現代において音楽を聴く主な手法は、やはりサブスクというものではないのだろうか。情けなくもいまだ時代に追い付いていない不肖はそこいらの知識がかなり疎いのだが(とはいえ、必要に応じてSpotifyなどは活用している。)いまは「聴きたい時にいつでもなんでも聴ける時代」になった。だからこそ「敢えて聴くこともなくなった」人も、「自然と音楽から足が遠退いた」人も少なくはないのではないだろうか。
 音楽というものは、日常から切って切り離しても差し支えないものランキング、指折り10つ内に入りがちなコンテンツだと思う。ましてや興味すらなければ、生まれた時から触れる機会もなく、また自ら好んで聴きに行くというアクションを起こすこともないからだ。
 テレビのコマーシャル、YouTubeやニコニコ動画、いわばメディアにおいて起用された音楽や効果音こそ聴けど、特定のアーティストを推していくということは、わたしにとっては体力がいることだと思うので、音楽を聴くということは立派な「推し事」だと思っている。ましてや、その界隈において特定のアーティストのこの楽曲が好きだと断言出来る人は、本当の意味の「音楽好き」と呼ぶに相応しいと考えている。

 仮に前述の論が成立するとすれば、わたしも立派な音楽好きに部類されると自負している。なぜならば、本記事のタイトル通り、わたしは今現在、絶賛WALKMANにドハマり中だからである。
 ひとえにWALKMANはいいぞぉと言いたいところなのだが、じゃあなにがいいんだっていう理由を自分なりにまとめてみた。

  1.  まず、音が良い。スマホもイコライザーの技術が発展しているが、やはりSONYのWALKMANでしか得られない栄養がある。

  2.  むかしの機種となれば、当時の思い出がよみがえるタイムカプセルの役割も担ってくれる。この曲をはじめて聴いた時、繰り返し聴いていた時、そして時が流れていまに至った現在で聴いた時の心情は、ノスタルジックを通り越した希死念慮すら沸き起こる始末である。

  3.  サブスクと異なるのは、1曲単位あるいは円盤単位でお金を払って聴くということだ。そして、そのなかでも自分が聴きたい音楽を選択し、自分好みのプレイリストのようにカスタマイズするという一手間をも加えている。その曲をWALKMANで聴きたいから、自分の日常の傍にいてほしいから、その曲、そのアーティストを選んだ。つまり、まごうことなき自分本意のプレイリストを作り上げているわけである。自分が選り好みした音楽らを分析してみると、敢えてアルバムから外している曲があったりするので、テイストの好き嫌いが浮き彫りになって自分を客観視出来るのも面白い。




 WALKMANにハマった、という時系列の話をすると、実を言うとお盆を迎えたからハマったわけではない。それより少し前から「円盤でしか聴けない音楽」が聴きたくてたまらなくなり、チェストを引っくり返し始めた8月初旬頃が発生時なのである。
 円盤でしか聴けない音楽。つまるところサブスクでは聴けない(配信されていない)音楽のことだ。その有名どころと聞かれれば、自分はマキシマム ザ ホルモンが真っ先に頭に浮かぶのだが、彼らはストリーミングの配信に対して、このような気持ちを宣言している。

 ヤリたいだけのカラダ目的の男…我々界隈で指すところと言えばいわゆる「表紙買い」だろうか。だが、わたしの知っている範囲では、そこからドハマりするケースもしばしば見受けられるので、個人的には邪道だとは思わない。(事実、自身がデザインを少し齧っている手前、邪道呼ばわりされると正直複雑な心境。)
 発信する側、つまりクリエイターとしてのプライドや意志というものは、そのコンテンツのフアンである限りなによりも尊重しなければならない。それでもついていくと追っかけを続けるフアンこそ 真の推し事の社畜 真のフアンともいえるのではないだろうか。「生きているなら現場(ここ)に来い。」その一言に、彼らの音楽への情熱すべてが拳ひとつとなり集結されている気がする。


 
 大人になるにつれて流行曲をよく耳にするようになった。…のだが、正確には音楽として聴いていないのだろうと思う。その証拠として、この曲知ってる~からの繋がりがただのハミングであり、そのアーティストのことなんて、ちっとも分かってはいやしないのだ。そんなわたしこそ正真正銘のミーハーであり、摘み食いどころか試食でジャッジすらも出来てしまうバイキング形式と化した音楽ビジネスにまんまと踊らされている操り人形とも自称している。

 かつての自分は音楽を聴くのが好きだった。励まされもしたし、励ましもした。事実、アーティスト本人に向かってがんばれと現場で声をあげたこともあるし、受けた本人はわたしに応えてくれた(ような気がした)。
 だが、それも年齢を重ねるごとに熱量が冷めてゆき、積み重なる疲弊ゆえか、@本人とした声をあげる機会が少なくなっていった。わたしが思うに、恐らくは体力と気力の天秤が釣り合わなくなったのだろうと思う。そうしてハッと気が付いた時、わたしは「思い出の亡骸」を握りしめ続けて、茫然自失と立ち竦んでいたのである。

 近頃は滅法こころとからだがすっかりくたびれていた。ふたつが離れて解けていく心地に嫌気がさし、変な考えすらもよぎっていては、躍起になってそいつの頭を必死に叩き潰していた。
 慣れないことの立て続けで、一向に訪れてくれない日常が遠すぎて切なく、あの頃が恋しくてさびしかった。築き上げているというよりは思い出のドミノ倒しをしているようで、ものすごくこわかった。
 一歩先に続く路なんて見えないから、もうひと踏ん張りは出来れど、もう一歩が踏み出せず足がすくんで動けなかった。それでも「生きる」という営業をやめる理由と切っ掛けが見つからないから、馬鹿の一つ覚えのようにあがき続けていた。だが人間という生き物は、足踏みをするだけでもガソリンを要する。さりとて有限なのだから、ガス欠がやってくるのも時間の問題なのだ。
 まるで生きながら死んでいく心地だった。突発性の快楽を追い求めて、その場その場で一喜一憂し、そして落胆していく。図面どおり右肩下がりの自分の情緒は、最早滑稽とも思えた。
 そんな時に、あの頃愛用していたボロボロのWALKMANを見つけた。そのWALKMANはというと、進学祝いとして家族がわたしに贈ってくれたものだった。
 つまり大人になったわたしは、あの時埋めたタイムカプセルを見つけて掘り起こし、かつてのわたしと再会を果たしたのだ。



 きのう何食べた? と聞かれても即答出来ない大人が、これまた不思議なことで、10数年前ぶりに聴く曲だというのに口から勝手に歌詞がすらすらと出てくる。頭と口が別の生き物になってしまったかのような心地で、正直そんなことって本当にあるんだと驚きを隠せなかった。
 とある韓国人ラッパーが、「歌詞は頭で覚えるのではなく口の動きで覚える。つまり寝起きでも口が勝手に動くように、口に覚えさせるのだ。」と言っていたことを思い出した。わたしの場合もそうだったのかもしれないと身をもって体感していた。それと同時に感じていたのが、WALKMANに入れていた曲を聴いているとその当時の心情や光景が芋づる式で甦ってくる不思議であった。

 お盆という帰省のシーズンを迎えたこんにち、あんなことこんなことあったでしょう、な気分に耽っている自分も色々と思い出すことが多々あり、なかにはなぜ今まで思い出せなかったんだろうという思い出もたくさんあった。思い出せていたあの時は、かなしかった、たのしかった、うれしかった、それらが鮮明に色濃く残っているから、繰り返し思い出すたび得意気になったり、時には落ち込んだりしていたのに。引き出しの中にはそんな思い出も隠されていたのだから、恥ずかしながらこの齢にして涙がとまらない日々を過ごしていたわけである。

 わたしは曲の歌詞に自己投影をしながら聴き入るのが好きだ。そんなときにふと聴いていた曲の歌詞に、こんな一節があった。

 聴き終える頃には涙が止まらなくなっていた。これまでは何気なく口にしていたフレーズも、幾重にも幾度となくわたしの胸に深く突き刺さり続けていた。Aメロはほんの小さな音だというのに、エンディングに向かっていくにつれて広がっていく様子を例えるとするならば、まるで雲の上で奏でるオーケストラのようだった。
 幼少期、家族の影響で聴いていたMr.Children。なんとなく覚えていたから口ずさんでいた曲の日本語の力は、大人になった今も続けられている「執筆」という趣味を持っているわたしからすれば、とてつもない破壊力を持っていた。ミスチルは、櫻井さんは、社会人を経験しているからこそ寄り添える愛がある。ミスチル芸人で口々に言われていた所以は、本当だったのだ。それは聴いていた当時から大人になったわたしが、故郷のひとつを失ってしまった人生を歩んでいるからこそ分かれたことでもある。



 景色に色がない都会の街並みと人混みにもみくちゃにされて疲れて、においもしなければ、食べるものの味もしない。生きていく理由もなければ、かといって急いで死ぬ理由もない。理由なんてものがなくても食べるためにお金を稼いで生きていくために食べるのが人間なのに、それを繰り返し、ただただ年齢を重ねていくから提出書類に記載する数字も1年ごとに1ずつ増えていく。
 不肖はそんな非生産的な人生を恥じている真っ最中だのに、家族はみんな口を揃えて「生きているだけで丸儲け。食べることは生きること。」と反抗期の自分の背中を、未だに押し続けてくれている。無償の愛とはよく聞くフレーズではあるが、お金で買えないものは奪うでも与えるでもなく、傍にあったんだと。それなのにないものねだりをしているようで、時には妬んで羨んでしまっていたのに、手にしている手を握り続けてくれている手たちの存在感に気付いてなかったのは自分だったのだと。
 なんだかこれがいわゆる郷愁というものなのだろうな、と達観した痛みをともにする日々を暮らしていた――そんな ぼくのなつやすみ in 2024 だった。

 そんな放心状態のなか、ふと脳裏によぎった一節がもうひとつある。

聞き覚えのある曲たち
何気なく歌っていたのに
こんなにこんなに大切なものだったなんて

引用:ちゃんみな "PAIN IS BEAYTY"

 WALKMANの収録曲を一巡辿っていく。
 メロディがかっこいいからという理由でハマったパンクロックも、家族が聴いていたからなんとなくわたしも聴いていたロックバンドも、Spotifyでは素通りしていた懐かしい歌い手さんたちも、当時ハマりまくって現場の追っかけをしていたアイドルたちのアルバムも。
 全部が「わたしの人生」として、いつも隣ならんで歩き続けてくれていた。

 そんなことをぼんやり思っていると、わたしがだいすきなコラムニストでもあるシャープさんこと山本隆博さんがリアタイでこんな記事を執筆されていた。

 巡り合わせという言葉が現代でも言い継がれているのは、人々が世代を上から下に伝って口々に言っているからで、残る言葉にはきちんと残る理由が存在するということなのだろう。


 
 わたしは鉛筆を手にして、家族へ手紙を宛てることにした。なぜならわたしは、なにかあればすぐに手紙を書くのがだいすきな子どもだったからだ。そんな子どもが大きくなった今も手紙を書くのがすきだから、書けない漢字を調べながらシャーペンをせっせと走らせていた。みんなが帰ってくる前に。お仕事終わりで疲れきったみんなに、ちょっとしたサプライズがしたくて。まだ帰ってこないかな、と色んな期待をしながらソワソワしていたあの時間は、どうしてあんなにも長く感じるのだろうか。まっこと未だ解明出来ない七不思議である。
 読んでくれた家族から、ああちゃんと読んでくれたんだ、とはっきりと分かる表情がうかがえたのがすごくうれしかった。まるで童心にかえったように、あの頃の無邪気なわたしが走って帰ってきた。そいつを真っ正面から、満面の笑みで抱き止めてくれる家族の光景がまぶしく感じて、うれしくて涙が止まらなかった。
 心の底から笑えて、たくさんおしゃべりをして、時には冗談を言い合ってどつきあったり、同じテレビを観ながら同じごはんを食べて同じ食卓を囲んで。景色に色がついてみえて、感動しっぱなしで年甲斐なくはしゃぎまくって。目に見えるもの耳に聴こえること声に出すもの、それに返ってくる声、表情。忙しいながらも一所懸命つくってくれた「家にあるもののごはん」は味が濃くて、しょっからいけどおいしいねと言い合える、世界にひとつだけの、わたしだけの家族の時間。乾ききった今のわたしには、何気ない挨拶ひとつすらもじゅうぶんに大きすぎる雨粒だった。

 素直にそう伝えたとき、母が目尻を掻いていたのはもしかして、という淡い想いを子どもらしく抱き続けている。
 吾ながらやはり自分という人間は、大人ぶって都会染みたことを言っていくら背伸びをしようが、家族の前だけでは、あの頃からちっとも成長をしていない、ただのこまっしゃくれ甘えたクソガキのまんまなのである。