動物倫理とはなにか① 〜差異について〜
肉食に抗議するヴィーガンの団体がメディアやインターネットで取り上げられ、彼らのデモの様子を画面を通して目にすることはあることはあるだろう。デモを主催する団体の多くは「アニマルライツ」、すなわち動物倫理を信条としているが、そもそも動物倫理とはなんなのだろうか。
この記事では動物倫理を簡単に解説する。今回はその第一回である。
動物倫理は「動物を人間と同じように扱え!」だとか「動物が可哀想!」といった単純な感情論ではない。奥深く、かつ論理的なものである。
第一回では、動物倫理の前提となる「動物と人間の差異」について説明する。
1 人間は例外か?
当たり前だが、人間社会では人間には一定の権利が与えられ、動物は人間同等の権利を有していない。ではなぜ人間には権利があり、動物には権利がないのだろうか。権利をもつ者ともたざる者の境界とはなんだろうか。
「人間には感情があるが、動物にはない」という人間例外主義の最も極端なデカルト主義は議論の余地もないが、動物の道徳的な判断能力を問う議論は存在する。だがゾウやガチョウなどの動物が仲間の死を悲しむことが報告されており、イルカやカバのような野生動物が他の種の動物に利他的行動をとる例さえある。(現在では「種の保存の本能」なるものはほとんど否定されているらしい)ネズミが押せば食べ物が出てくるレバーが他の仲間に電流を流すことがわかると押すのをやめるなど、知能の低い動物でも道徳的行為をすることがわかっている。
動物は他者に心があることも認識できる。ガイ・ウッドラフとデイビッド・プリマックはチンパンジーには願望や意図、目的などの「心の状態」が他者にもあることを認知できるとしている。
道具を用いる能力の有無を動物と人間の差異に位置付ける論者もいる。ただ道具を使う動物はチンパンジーやイルカ、ニューカレドニアカラスなど複数存在する。彼らは複雑な道具を組み合わせて使うことさえできる。
言語の能力が動物との差異として挙げられることもあるが、この言説にも類人猿が反例として立ち塞がる。近年、シジュウカラの鳴き声に文法構造があることが報告された。
また文化も人間に固有の概念ではない。ある集団は木でナッツを割るのに対し、別の集団では石でナッツを割る。またある集団では全くナッツを食べないというような文化的傾向の存在が明らかにされている。
2 差異は本当に重要か?
動物と人間の差異についての議論を概観した。以上を読めば、人間例外主義は人間の唯一性をイマイチ明示できていないことがわかるだろう。ユヴァル・ノア・ハラリが指摘したように大人数で協力して行動ができるという点で、人間は他の動物に際立っている。だがそれを含めても、人間とその他の動物の差は、ダーウィンの言葉を借りれば「種類ではなく程度の差」にすぎない。
動物と人間の差異じたい、そもそも倫理的配慮の境界線として本当に有効かという疑問が立ち現れる。
ひとくちに動物と言っても多様な種が存在する。先ほど列挙した人間と動物の差異は他の動物同士の差異(たとえば牛とカモノハシは大きく違う)と本当に異質なものなのか。
また、道具を扱う、言葉を話すといった性質は重要なのだろうか。川で溺れている男が意思疎通が図れない者だとわかったとしても、あなたは救助を中断しないだろう。
差異をもって権利の有無を決定しよう、という発想自体危うい。基準となる能力によっては、一部の人間も権利者の範囲から漏れてしまう。重度の認知障害を抱えていたり植物状態に置かれていたりする者は感情や道徳的な判断能力を持たないが、権利を有しているはずだ。(これらを限界事例と呼ぶ)
今回は、動物倫理を考える上での出発点にあたる、人間と動物の差異について検討した。ひとくちに動物倫理と言ってもさまざまな形態がある。次回は主に三つの論陣を簡単に検討する。
参考文献
ローリー・グルーエン. (2015). 『動物倫理入門』 (河島基弘, 訳). 大月社.
NATIONAL GEOGRAPHIC. “Rats Avoid Harming Other Rats. The Finding May Help Us Understand Sociopaths.,” March 6, 2020. Premack, David, and Guy Woodruff. "Does the chimpanzee have a theory of mind?" Behavioral and Brain Sciences 1, no. 4 (1978): 515-526. doi:10.1017/S0140525X00076512.
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