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僕の服が好きな理由


執筆者:Na0ki Nagata (@nagat81)
京都出身・都内在住の会社員。ただの服好きが高じて、「服と僕」というブログを運営。心の琴線に触れた服の紹介や服を通じて考えたことを書いています。

このシャツをひと目見て、多くの人は何を感じるのだろうか?

COMOLIというブランドのシャツ。このブランドを知らない人からすれば、ただの水色のシャツに見えるかもしれない。決して斬新なデザインがなされているわけでもないが、値段は1着2万円以上する。服にそこまでお金かけない人からすれば、「何でそんなに高いの?」と思うだろう。

この服を買ったのは、大学3回生の時。当時の僕はその価格はもちろん、服好きがこぞって夢中になってしまう理由を突き詰めたい好奇心に駆られ、まんまとこのシャツが放つ魅力にハマってしまった。

ファッションではなく、服が好きだ。

憧れの服を身に纏うことで、自分が普段よりも一回り大きい存在になったかのように感じた。そんな高揚感を覚えはじめてから、ずっと服が好きだ。

ある人が万年筆の曲線を愛するように、またある人が陶磁器の表面を愛でるように、「ファッション」というよりも、「服」そのものを愛している。この世の中に存在するプロダクトの1つとして、素材やつくり、そのモノの背景に至るまで、できる限り理解した上で身に着けていたい。 そんな思いがいつの間にか芽生え始めた頃から、僕の中で服は自身を装うものに収まらず、日々の生活をよりよく生きていくための存在となっている。

きっかけは、父親

服を好きになったきっかけは色々とあるが、その中でも父親の存在は大きかった。こだわりの強い人で、本当に気に入らない限り中々服を買わない。まだ服のことを何も知らない中学生の頃、そんな父親とよく買い物に行った。

「もう少し襟が大きいといいんだけど」、「ここにロゴが入っているのが気に入らない」と、一緒に買い物に行っていた時ブツブツと言っていたことを思い出す。彼の服装は、いつもどこか洗練されているように感じた。高級ブランドで揃えているわけでもなく、個性が溢れているわけでもないのに何故かまとまっている。

おしゃれは引き算とはよく言ったものだが、父親のスタイルはまさしくそうだ。無駄な装飾はなく、体にきちんとあった服を身に着ける。ただ、自分の個性も忘れない。様々な要素を理解した上であのスタイルが成立していたと思うのだが、 その時の僕には理解することができなかった。

試行錯誤の日々

それを探求するかのように、自分で服を選んで買い始める。まず参考にしたのが、中学の同級生。スクールカースト上位で、イケてる人たちの服を観察するところから始めてみた。その中でも一際気になったのが、ダウンジャケット。あのフードにファーがついている姿が、やけにかっこよく見えた。大層な理由なんかなくて、その時はただかっこいいだけでよかった。

彼らを真似するかのようにRight-onなどに足を運び、色々と着てみる。そして、初めて自分の意志で選んだのが、UNIQLOのダウンジャケット。現行のものと違い、おしゃれな形でもなかったし、サイズ感もあってなかったと思うが、当時の僕はそれを着ているだけでいつもの日々がちょっぴり楽しく感じた。

わからないなりに他にも色々な服に手を出した。記憶に新しいところでいうと、CMで某アイドルグループが宣伝していたRUSS-K(ラスケー)というブランドの服。恐らく当時の僕の考えは、「かっこいい人が着ている服はかっこいい→その服を着れば、自分もかっこよくなる」だったのだろう。今の僕からすれば目も当てられないくらいダサく、黒歴史と呼ぶべき時代である。

ある雑誌との出会い

そんな中、僕は『2nd』という雑誌に出会う。ターゲットは、20代後半~40代くらいのファッション好きな男性であるにもかかわらず 、僕は中学生にしてその雑誌を手に取ってしまった。自分で言うのもなんだが、かなり早熟だと思う。無地のボタンダウンシャツにLevi’sのヴィンテージデニム、足元はRedwingのブーツというアメカジスタイルや、紺のブレザーにベージュのチノパン、ローファーというアイビースタイルが載っていた。派手な装飾はなく、シンプルな格好なのに、渋くてかっこよかった。

服の細部にこだわりを持ち、流行に流されない長く愛せるものを身に着ける。それを一回り以上年の離れた大人が、誌面で楽しそうにしていた姿がとても衝撃的だった。まさに、僕の今の服好きのルーツはここにあると思う。服好きの根幹となる価値観が形成された瞬間だった。

それからというものの、わからないことがあれば父親に聞いてみたり、雑誌を読んだりして情報収集をする日々。そして、その情報を基にちょっと背伸びして、古着屋やBEAMSなどのセレクトショップにも足を運んでみた。最初は店員さんに話しかけられることが怖かったけど、服の知識やサイズ感など色々なことを教えてくれることがわかってから、店員さんと話すことが1つの楽しみになった。勉強した感覚はあまりないけれど、店員さんと話が通じるようにファッション用語などもある程度理解するようにした。

そうしている内に、いつの間にか周囲の人よりも服のことに詳しくなっていて、その時自分は服が好きなのだと気づいた。服のことを考えている時間はとても楽しくて、あっという間に過ぎていく。そして何より、服に夢中になっている自分のことも、なんだかちょっぴり好きに思えた。

そうやって、服のことを知れば知るほど、楽しさは増していった。今まで知らなかったブランドのこと、そのブランドがどのような思い・こだわりを持って服を作っているのか。作り手の意図を自分なりに解釈し、理解へと落とし込むことで自分の血肉となっていく。それがとても快感だった。

今は以前よりもさらに知識も増えて、服を見る時の解像度も少しは上がったと思う。ただ、その一方で、夢中になっている感覚は学生の頃からあまり変わっていない。様々な情報をインプットし、その中で自分のこだわりにハマるもの、好奇心が掻き立てられるものを見つけ、選んでいくおもしろさ。この一連の過程に、僕は今も陶酔し続けている。

COMOLIのシャツが服への愛を深めてくれた

そんな僕が好きなのは、「作為がありながら、それを感じさせない服」だ。一見普通なのに、実はこだわりが詰まっている服を見つけると、たちまち体温がクッと上がる。

僕にとって、このCOMOLIのシャツがそのはじまりの1着だった。蛇足ではあるが、このシャツの魅力について語らせて欲しい。

ゆとりのあるシルエットで、単純に着ていて楽だけど、何故かだらしなく見えない。それは、単にサイズを大きく作ったわけではないからだ。肩のラインを合わせつつも、身幅を広めにとるという絶妙なバランス感によって、この服は成り立っている。造形物としての美しさすら感じる。

また、ドレスシャツにも採用される細い糸を使った生地に、ドレスシャツ並みの縫製の細かさが、このシャツの上品さを引き出している。さすがに5年も着ていると、色も少し抜けてヨレてきているが、それでも色気は損なわれていない。

この小ぶりな襟も着る人を干渉しない、でも、シャツとして違和感なく成立する大きさに仕上げられている。小さすぎても違和感があるし、逆に大きすぎても首に障る。着る人のことが非常に考えられているように思うが、それが前面に出ていない。着る人がスッと受け入れることができるような静けさを感じる。

僕自身の解釈も含まれているが、COMOLIのシャツにはこれだけのこだわりが詰まっている。なのに、その主張は感じさせないアノニマスな佇まいと長く愛されるであろう普遍的なデザインがたまらなく好きだ。

この1着がきっかけで、僕はより服に対して熱もお金も注ぐことに。兎にも角にも、僕はこの服に出会うことができてよかったと思っている。

服に夢中になっている自分が、本当の自分

何故、ここまでして服を好きで居続けられたのだろうか?

詩人の銀色夏生さんのエッセイに、「人は、好きなことをすると、自分をとりもどす。 」という言葉がある。これはまさにその通りだと思っていて、この社会や所属している組織の中でどう生きていようと、服に対して愛を注いでいる僕は100%嘘偽りなく自分であり、誰にも侵害されない自分と服だけの時間だ。それは、今この社会から切り取られた別の世界のように、世の中の「流行」や「ダサい」に流されず、自分の「好き」に素直になれる居場所。

僕はもともと人の目ばかり気にしていた人間だったけど、「服を愛する時間」という居場所ができてからは、どんなにつらいことや悲しいことがあっても、楽しく生きられている。

服が僕を救ってくれたから、今がある。だから、ずっと僕は服を好きで居続けることができたのだと思う。

そして、自分とその居場所を、大切に守り続けるために、僕は今日も服を愛し続ける。当然お金はかかる。ただ、 できる限り服にお金をつぎ込んでいく日々を過ごしたい。幸か不幸か、それでも服がある人生は幸せだ。

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