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第292話:富士山の初冠雪

今週の11月7日木曜日に富士山に初冠雪の発表があった。

ニュースによると平年より36日、昨年より33日遅く、観測開始後130年で最も遅い初冠雪なのだそうだ。これまで最も遅かった初冠雪は10月26日だそうだから11月初旬までずれ込んだのは異例のこと。

富士山の初冠雪と言えば、3年前(2021)には9月7日に発表された初冠雪が取り消されたことがあった。
甲府観測所では富士山の初冠雪を富士山観測所の「日平均気温の最高値を観測した日以降に初めて冠雪を観測した日」としているそうで、9月20日にその最高値が観測されてしまったために、9月7日の冠雪は前の冬の降雪に区分され、9月26日に降った雪をもって初冠雪と改められたのだと言う。
ちなみに観測史上最も早い初冠雪は2008年の8月6日であるらしい。

温暖化、異常気象。
線状降水帯とか記録的短時間大雨情報とかだけでなく、こんなことにもヤキモキする気象庁に感謝申し上げたい感じがしないでもない。


実は、今回発表のあった前日の11月6日に静岡にいる僕らは富士山の山頂に雪が降っているのを確認できたのだが、初冠雪の発表には至らなかった。
「なぜ?」と思ったが、これは曇っていたために観測を請け負う甲府地方気象台からは降雪が確認できず、その日の夜に降った雪を7日に確認して「初冠雪」の発表となったらしい。

「ふーん、そうなんだ?雪、降ったのに・・」
と思ったわけだが、かつて観測をともに担っていた静岡県の三島や山梨県の河口湖測候所が2002、03年に無人化されたために富士山の初冠雪を確認するのは甲府気象台のみとなり、その日はたまたま甲府気象台からは山頂が見えなかったからだと言う。

しかも観測は目視。これはかつての膨大な統計データとの連続性を確保するためらしいが、なんだかアバウトでいいなあと思ってしまった。
それで別に誰も文句を言わないのも素晴らしいではないか、とも。

桜の開花宣言もそう。
標準木の気象庁職員による目視。周りの桜が咲いていても開花宣言にはならない。このせちがない世の中に、このアナログな感じは何とも言えない。


でも、それでちょっと調べてみたら、今年(2024)の3月に(初霜・初氷・初冠雪のような機械で計測できないものを除いて)明治5年以来100年間続いた目視観測を機械計測に切り替え自動化されたという記事に出会った。
迂闊な僕は、逆に「そうなんだ。ずっと目視観測してたんだ」とそこにもちょっと驚きを感じたわけだが、「ああやっぱり終わっちゃうのね」とも思った。

ちなみにその時の気象庁のHPから「目視観測通報の自動化に伴い観測を終了する主なもの」を拾ってみると次のようなものが挙げられている。

快晴薄曇・雪あられ・氷あられ・ひょう・細氷・凍雨・霧雪・着氷性の雨・ふぶきしぶき・結氷・たつ巻・積雪・冠雪・黄砂・煙・降灰・風じん・砂じん嵐・じん旋風・かさ・光冠・彩雲・にじ・電光・雷鳴(・雲の観測すべて)

https://www.jma-net.go.jp/tokyo/shosai/news/pdf/2024/20240209_kansoku_jidou.pdf

これらが自動化によって「晴、曇、雨、雪、みぞれ、霧、もや、煙霧、雷」の9項目に整理縮小分類される。

知らないものも、「うわーこんなのも」と思うものもたくさんあって、再び気象庁の職員のご苦労に感謝申し上げたいが、市町村合併で多くの地名が失われたように「快晴、薄曇、雹、吹雪、虹」・・こんな言葉たちが表舞台から退き、ひょっとしたらいつか生活の中から失われていくかもしれないと考えると、機械化、自動化、合理化の波が、風土とか歴史とか経験とか生活感覚とかに根差した言葉を消してゆくことは惜しいと思う。

それは「きめ細やかさ」を失っていくことだ。


蛇足と思われるかもしれないが、カミさんはいつも「あなたは大雑把なのよね」と僕を非難するのだが、アバウトでアナログ的在り方の中でこそ「きめ細やかな」感性が発動するのであって、居間で転がっている僕はたぶん「怠ける」ことで世の中の仕掛けた「罠」に囚われないようにしているだけなのだ。


■土竜のひとりごと:第292話




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