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第284話:「バカ」と言う人

世の中のことに概して関心が薄いのに、何かに引かれるとそれにのめり込んで我を忘れてしまうのは、なかなかに厄介な気質と言うべきかもしれない。

何年か前のこと、そんな調子でネットの対戦将棋にはまったことがある。
適度に遊べばいいのに、勝てば嬉しく、負ければ悔しくてもう一戦交えたくなるといった風で、時には深夜3時4時まで、時には朦朧としてふらつくまでやってしまう。

設定時間が1分という壮絶な将棋もあれば1時間半くらいかかる時もある。肩はバキバキ、目はシバシバ。疲労困憊なのに更に挑戦して疲労を増し、自制心の乏しさに自分不信に陥りながら、精も根も尽き果てた頃やっと布団にはいる。布団に入っても興奮は続き、目をつぶった瞼の裏で将棋の駒が動き回っている。
全く愚かな状況だったと言わなければならない。

相手の年齢も性別も何を考えているのかもわからない。ディスプレーの将棋盤だけでつながっている。
下には狭いながらチャットスペースもあって、よく4649とか39とか書き込まれる。手を間違うと「しまった」などとわざわざ打つ人がいたり、中には一手ごとにひと言をそえる人もいる。花粉症とか環境問題とか、将棋の最中に中越地震があって、そこからお互い自己紹介になったこともある。

ただ、当然いいことばかりではない。
のんびりと考えていると、「はやくやれ」みたいなきつい命令口調の言葉が浴びせかけられたりする。
僕のようなヘボは相手にしたくないに違いないが、ルール上、下位との対戦もしなければならない。あからさまに邪魔者扱いにされることもあって、ヘボな手を打つと「バカか。おまえは」などと言われる。
確かにバカなんだが、見も知らぬ相手に突然「バカ」と言われると腹が立つ。

もっとひどいのになると、「去れ」とか「死ね」などと書き込まれるのであって、不愉快も甚だしい。いくら将棋が下手であっても「死ね」と言われる筋合いはないし、人に向かって「死ね」と言うのは言語道断だろう。

そんなことが何回かあって一気にやる気が萎え、やめてしまったのだった。

こういうところがネットの落とし穴であって、「死ね」といとも簡単に言えてしまうのは、相手の顔が見えないからである。相手がそれで本当に死んでしまっても自分はそれで傷つかなくていい。
責任がなければいくらでも冷たく無責任になれる。人間はそういうものである。


ネットの普及率は総務省のデータによると、1997年はまだ9.2%だった。年を追うごとに13.4、21.4、37.1、48.3と右肩上がりに増え、2002年には50%を、05年には70%を、13年に80%を超え、現在は85%であるということだ。
例えば1997年は平成9年。僕は36歳だったと考えると、あっという間の広がり方だったと言っていい。

最初の頃はまだネットは身近な存在でもなかったし、どこか胡散臭い感じもしていたかもしれない。ただ普及率が増すに従って依存度は高くなっていった。

「電車男」がブームになったのが2005年。描かれていたのは「オタク」青年の純愛のけなげさと一生懸命ネット上で応援する仲間の温かさであって、このドラマはマイナスの側にあった「オタク」という存在を、多分、グッとプラスに傾ける力になった。
と同時に、「オタク」だけではなくネットを介した伝達形態に「温もり」があることを訴え証明してみたような気がした。

今や、X(Twitter)、Facebook、LINE、Instagram、TikTok、各種ブログなど、ネット上のやり取りはそれが社会にとってなくてはならない存在になり、そしてさまざまな恩恵をもたらす一方で、「バカ」とか「死ね」とかいう言葉ももっと激しく乱舞している。

ディスプレーの上だけで相手とつながることには、仮面を付けたり、サングラスをかけたりして人と向き合う「甘え」と「無責任」が同居している。相手を傷つけない強いモラルとか、相手を思いやる想像力とか、そういうものが、当然この道具を使うときには必要になる。

大げさに言えば、僕らはいつも時代のサキッポにいて、新しい技術が生まれるたびに僕らはそこに立たされる。でも、その時代のサキッポに正しくいられるために必要なのは、「人に対して『バカ』『死ね』となぜ言ってはいけないのか」という、むしろ「シッポ・根っこ」の発想なのだろう。


例えば話は変わるが、父が亡くなる時、土地を残してくれた。住んでいる場所とちょっと離れた所にあり、また仕事が忙しかったので、駐車場にして微々たる賃料で貸していたのだが、ある会社がその土地を見つけて「アパートを建てないか」と持ちかけてきた。
そんな気はさらさらなかったが、担当は人の良い礼儀正しい人だったので、その気はないと伝えながら、それでも散発的に幾度かの訪問を受けていた。ある時、業を煮やしたのか、営業部長?とやらが一緒にやってきた。
それでも「その気はない」と言うと、「あんな立地の土地を駐車場にしておくなんて、あんたは『バカだ』よ」と荒々しい声で言い放った。


人間は面と向かっても、自分の思い通りにならなければ平気で人に「ばか」と言えるのである。
ネットはそれを助長するだけだ。

ネットだけを悪者扱いにすることはできない。


■土竜のひとりごと:第284話




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