第33話:戦争に行かせない
教員の中には真面目な顔でウソを言い、生徒をだましてそれを喜びの種にしているような悪い人がいる。
ついこの間も女子生徒が来て、「貧血で困っているんだけどどうしたらいい?」とある教師に質問したのだが、彼は「鉄分を取ればいいんじぁないの。ホウレンソウとかレバーとか。」と言ってから言葉を継いで、
「そうだなあクギなんかもいいぞ。」
などと返答をしていた。
その生徒が怪訝な顔をすると、彼は「大工さんはクギを口にくわえて作業しているだろう。あれは高いところに上って貧血を起こしたら困るからクギをなめて鉄分を補っているんだ。」と実に強引な説明をしていた。
彼のその説明が冗談であることは明白な事実なのだが、その女生徒は何を思ったかその説明にひどく納得し、「な~るほど。先生、アッタマイイ。」と感激して帰って行ってしまった。
騙す教員も悪いが、騙される生徒の素直すぎるその性格もちょっと困ったものではある。
ちなみに大工さんがクギをくわえているのは、高いところで作業をしているから両手を空けるためというのがほぼ正解らしいが、一説によると、クギを口に入れることで打ち込まれたクギが早くサビるようにするため、すなわちブレーキ作りのためとも言われているそうである。
真偽は知らない。でも、少なくとも鉄分補給のためではない。
わからないことに出会った時、人が嘘を信じてしまうのは、それ正しいか正しくないかの判断ができない状態にあるからである。
それには多分二つの要因があって、一つは(大工さんのように釘を舐めれば鉄分が補給できるという嘘を疑いきれない)自分の無知と、もう一つは(先生は本当のことを言っているに違いないという)情報源に対する疑いの欠如である。
どう考えても彼女はしないと思うのだが、彼女が先生の冗談を信じて下校途中に街中で釘を咥えて歩いていたとしても、それはそれで相当に異常な姿であっても世界の根幹を揺るがすような問題にはつながらないと思うが、知らなければ大きな判断を間違えてしまう問題はある。
情報が遮断され、正しい判断ができない時、人はえてして、声の大きい人や自分に都合のいいことを言ってくれる人の声に耳を傾けてしまう。
ヒトラーの時がそうだった。トランプはどうか?
アウシュビッツって?
えっ、ウクライナってまだ戦ってるの?
これは最近話をした、それこそ日本でトップクラスと言われる大学に進学した卒業生と飲んだ時の二人の口から出た言葉である。
ロシア、中国、北朝鮮・・。脅威が強調されて喧伝される時、戦争は、軍備は必要であるという論調に靡いてしまうことに、それらの“無知”はつながりかねない。
夏休みになるとあちこちで戦争に関する式典や供養が行われ、テレビなどでも盛んに特集が組まれたりもする。今年も例によって8月15日には甲子園の黙祷の様子がテレビに映し出された。
僕はそれをとあるラーメン店でニュースとして見たが、カウンターの隣に座っていた見も知らぬ年配の男性が、球児たちが帽子を取って頭を下げた瞬間に僕の方を見て、「無理だね」と言ってニャッと笑った。
戦争体験を持たない僕にはその言葉の意味を正確には理解出来ないわけだが、「戦争を知らない子供たち🎵」が明るい平和な空気を描き出しながら反戦歌であるように、何かを語ることは必要なのだろうと思う。
部屋を片付けていたら、本棚の後ろからこんなポスターが出て来た。
写真左下の黄色い部分には
と書かれ、右下には小さく「スッポンポンの、市民の声」とある。
1983年というと、もう40年程前。大学4年か就職した初年か。たぶん当時、朝日ジャーナルの記事の中に紹介されていた?ものではなかったかと思う。当節を考慮し、少しボカシを入れたが。
このポスターの狙った衝撃性の是非には、議論の余地もあろうかと思うが、子供達を「戦うための『人的資源』」としてはいけないことは、誰も同じ思いであろうと思う。
(土竜のひとりごと:第33話)