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第214話:社会の窓

[ 日本語雑話:間接表現 ]

I love you.

これは多くの人間の関心事だが、ネットの情報によれば、二葉亭四迷がこれに相当するロシア語(「Ваша」=英語「Yours」=日本語「あなたのもの」に相当)を「死んでもいいわ」と訳したとされる。

夏目漱石が、学生が訳した「I love you.」を『月がきれいですね』と言うべきだと言ったという話はあまりに有名であるが都市伝説という説もある。
一応紹介してみたいが、漱石の「I love you.=月がきれいですね」説の根拠とされるのは『奇想天外』1977年11月号(奇想天外社)に載る次の豊田有恒の記述だということである。 

夏目漱石が、英語の授業のとき、学生たちに、I love you.を訳させた話は、有名です。学生たちは、「我、汝を愛す」とか、「僕は、そなたを、愛しう思う」とかいう訳を、ひねりだしました。「おまえら、それでも、日本人か?」漱石は、一喝してから、つけくわえたということです。「日本人は、そんな、いけ図々しいことは口にしない。これは、月がとっても青いなあ――と訳すものだ」なるほど、明治時代の男女が、人目をしのんで、ランデブーをしているときなら、「月がとっても青いなあ」と言えば、I love you.の意味になったのでしょう。
と訳したという有名な話があるが、日本人の気質を見事に表した、何とも味のある名訳である。

豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』

本当かどうかは別の話として、こうした話が長く人々に愛され伝えられているのは、恐らく日本人が間接表現を好むことに由来しているからかもしれない。

プロポ-ズの言葉も「結婚しよう」でいいのに、
「僕の月になって欲しい」とか、
「一緒にこの猫を飼わないか」などと
男たちは一生懸命言ってみたりもする。

嘗て聞いた話に「俺のパンツを洗ってくれないか」と言った人もいたそうだが、今の女性にそんなことを言ったらまず拒絶されるに違いない。一生懸命というのはえてして上滑りするものだ。

トイレの貼り紙に「きれいに使っていただき、ありがとうございます」とあるのも一種の間接表現だろう。
(もしご興味があればこちらをどうぞ)


金田一晴彦の本に、おおよそこんなことが書かれていた。

日本人の奥ゆかしさは、能動を表現するのを嫌い、
「お茶をいれました」ではなく、「お茶がはりました」と言い、
たとえ徹夜してやった仕事でも
「課長、やりました」ではなく、「課長、できました」と言う。
まるで、天から降ってきたように・・。
それがいいかどうかは別として、昨今では失われつつある「風情」かもしれない。

これもその本に載っていた。
目上の方を交えた会食の席で、その目上の方の前に醤油がある。それをとっていただきたいとき何と言うべきか?・・「お醤油をとってください」ではない。

「それ、お醤油でしょうか?」

と言うのが正解!なのだそうだ。
確かにそう言えば、醤油が欲しいんだなということが伝わる、究極の間接表現かもしれない。

一度、そんなことを生徒に話したら、「なぜ、そんな回りくどいことを言わなきゃいけないの?」と言っていたが。
「じゃあ、君たちは男の子の『社会の窓』が開いていたら何と言って教えてあげるんだ?」と言ったら、「『社会の窓』って何?」と言われてしまった。
「社会の窓」も失われた間接表現かもしれない。
どうでも良いが、国立国会図書館のレファレンス共同データベースに「社会の窓」についての質問に対する回答が掲載されていた。ご興味があればお読みいただきたい。

僕はものぐさで、若い頃はよく書類を期限までに出さないことが多かった。
ある時、人事関係の書類だったかと思うが、出さずに放っておいたところ、校長に呼ばれてしまった。
たじたじしながら校長室に行くと、校長がひと言。

「やあ、すまなかったね。君に用紙を渡し忘れてしまったようだ」と。

畏れ入り、即刻、書いて提出したのだった。


■土竜のひとりごと:第214話

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