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おちこちぶらり①:太宰治とララ洋菓子店
静岡県三島市
ララ洋菓子店と太宰治
太宰治は昭和9年夏のひと月を静岡県三島に滞在し、よくこの店を訪れ、レコードを楽しみながら、コーヒーを飲んだと言う。
下の写真は現在のもので、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅を降りてすぐにある本店である。開業当時から場所は変わっていない。
(ララ洋菓子店は現在、三島の萩と駿東郡清水町に二つの支店がある。)
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ララ洋菓子店は昭和7年にカフェとしてオープン。
当時、2階が住居。1階12坪足らずの店舗で、「東側が売店であり、西側の喫茶店では、ボックスを三つぐらいあしらって、ついたてをたてて、そこに手まわしの蓄音機をおいてあった」という。
当時、東京帝大の学生であった太宰が洒落た雰囲気をここに求め、楽しんだのだろう。
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太宰はこの店のママさんに好感を持っていたらしく、三島で親交の深かった坂部武郎氏は、太宰が「好みの女性」と言い、「かなりひんぱんに」「顔を見に来た」と言う。相当な美人であったらしい。
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ママさんは菊川千代子さん。
大正元年に東京神田明神下に生まれた江戸っ子で、昭和7年に三島にお嫁に来てこの店をご主人と始めた。太宰が滞在した昭和9年では23歳。
洋菓子が三島ではまだ珍しい時代のこととてなかなかに苦労したようだ。お腹に子どもを身ごもっている状態で店を切り盛りしており、太宰のことは「全然知らなかった」らしい。
この千代子さんが平成21年、96歳で亡くなられた際、「太宰もファン“看板娘”逝く 三島の洋菓子元店主」という見出しで次のような記事が静岡新聞に掲載された。
三島市広小路町本店がある洋菓子の老舗「ララ洋菓子店」の店主だった菊川千代子さん(同市芝本町)が96歳で亡くなり、14日、告別式が行われた。
夫の故儀雄さんとともに昭和7年に創業した喫茶室もある店には三島で一夏を過ごした太宰治も通い、千代子さんのファンだったという。千代子さんを知る人たちは明治、大正、昭和、平成を気丈に生き、多くの人に慕われながら70歳まで店に立った“看板娘”をしのんでいる。
千代子さんは東京に生まれ、三島の和菓子屋の三男だった儀雄さんと結婚。東京のハイカラな空気も吸っていた儀雄さんは「俺は洋菓子で行く」と千代子さんと現在の本店所在地に店を開いたという。
太宰は昭和9年8月、同市泉町の故坂部武郎さん方に約1カ月滞在し、「ロマネスク」を書き上げた。作家で県伊豆文学フェスティバル委員の中尾勇さん(同市大宮町)が坂部さんに聞いた話では、太宰は毎日のように散歩の途中に店に寄ってレコードを聞きながらコーヒーを飲み、千代子さんのことを「自分好み」と話していたという。千代子さんの長男の恒明さん(75)によると、千代子さんは太宰が店に来ていた認識は特になく、子どもたちに話したこともなかった。
千代子さんは30年ほど前に儀雄さんを亡くし、店を恒明さん夫婦に任せて以降もアドバイスを惜しまず、茶道や俳句などの趣味にも熱心だった。恒明さんは「ぐちを言わず、楽天的で好奇心がおう盛。お菓子のことで工夫を欠かさなかった」と千代子さんの遺志を受け継いでの家業発展を誓っている。
僕も2.3回行ったことがある。お店の方に聞いても当時のことはわからないとのことだった。三島に立ち寄る機会があれば「話の種にちょっと寄ってみてはいかが」と言ってみたかったのだが、Facebookに次のように今年(2024年8月)「閉店」の案内が出ていた。
残念・・。
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参考文献
・「静岡新聞」2009年1月15日朝刊
・『三島文学散歩』中尾勇/著 静岡新聞社刊
・『続三島文学散歩』中尾勇/著 静岡新聞社刊
この記事は主に『続三島文学散歩』の「太宰治のかよったララ洋菓子店」「太宰治が心ひかれた三島の女性」を参照している
・「聞き書き 三島の女性史」みしま女性史サークル編(静岡新聞社)には菊川千代子について次のような記述がある。またこの本の元になる「聞き書き みしまの女性たちの歩み 明治生まれ編」(三島女性史サークル・女性政策室編)にはこれより詳しいエピソードなどが紹介されている。
東京より三島芝町菊屋菓子店の次男に嫁ぎました。世界恐慌の不景気な時代でした。翌1932年(昭和7年)、ララ洋菓子店を広小路駅前通りに開店いたしました。(中略)当時、洋菓子店は三島に一軒、県東部に一軒ぐらいでしたので、生活環境や地域の風習に合わず気苦労もありました。商売柄女性が店内一切をやる方が多いので菓子職人と共に和服に割烹着姿でよく働きました。コーヒー、ケーキ、ケーキは若い人には人気があったようです。