第288話:かわいい
家の周りは田んぼと畑ばかりだからいろんな鳥がやってくるので庭の木陰に餌台を作って置いてみたことがあった。
最初はスズメがやってきた。時にはたくさん餌台にムクムクと群れてチュンチュンしている様子がかわいらしかった。メジロもやってきて木にとまりながらミカンを啄んだり、ムクドリがツガイで来たりもした。
休日に昼ご飯を食べながらカミさんとそんな様子を暫くほのぼのと楽しんだ。
ところが段々に来る鳥が大きくなる。
ムクドリがやってきて小鳥を追い払うようになり、餌台に餌がないとサッシの窓枠にとまって嘴でガラスをカンカン叩いて餌を要求するようになり、最後にはカラスがやってくるようになり、そのムクドリも追い払われた。
ここに至って餌台は撤去せざるを得なくなった。
餌など与え、勝手に鳥の振る舞いに落胆する自分の愚かさを思ったわけだが、一方でムクムクしたスズメやちょこまか動くメジロのかわいらしさを懐かしんでみたりもしたのである。
小さくてかわいいものは得だ・・と思ってみたりする。
外見でものを判断するのは愚劣極まりないが、例えばシマナガエ(コメント欄に訂正)など見ていると、どうしようもなく「かわいい」と思ってしまうのは人の性というものだろうか。
鳥でなくても動物の赤ちゃんはみんな小さくてかわいい。犬でも猫でも、トラでもゾウでも。人間の赤ちゃんも。
そうすると「かわいい」という感覚は「母性」なのかもしれないなどと思う。
かわいいものは「ぬいぐるみ」になる。
大谷翔平は大きくてカッコいいからグッズにはなっても「ぬいぐるみ」にはならないだろう。「南くんの恋人」ではないが、それは「ポケットに入れておきたい」という感覚かもしれない。
すると「かわいい」というのは「所有」という感覚なのかもしれないなどと思ったりもする。
空前の?ペットブーム。猫をかわいがる人もたくさんいるが我が家の猫は全くかわいさに欠ける。
一般の方は馴染みがない名前かと思うがサビ猫という種類で、ご覧のように顔が半分に割れている。ネットでいろいろ見たが、やはりどのサビ猫も顔の柄が中央で見事に割れていてジキルとハイドを思わせる。
顔立ちはそれなりに端正でスタイルも悪くない。だが、毛並みのガラが決定的によくない。金属が錆びた色に似ているからサビ猫と言うらしいが、丸まって寝ている姿がまるで雑巾のように見えるということで、昔から雑巾猫というおよそ不憫な呼ばれ方もしている。
実際、外で見ると貧相なイタチのように見え、寝ている姿は汚れたボロ布が置かれているようでもある。
性格もかわいくない。普通の猫のように甘えてこない。運動神経は抜群で外を飛び回り、時には木の上によじ登ってカラスと戦ったりしている。近くの家の猫とも戦う。女の子なのに好戦的。
夏は大半を外で過ごし、寒い冬でも布団にもぐり込んで来たりも、「猫は炬燵で丸く〜♪」もならない。抱かれるのが大嫌いで、僕の肩と膝の上には時々乗るが、基本的には膝の上で丸くなるということもない。
彼女は「所有」を拒絶している。
声をかけても「どこ吹く風」。マイペースで生きている。保護猫の譲渡などの番組を見るが、まず貰い手のない猫だろうとカミさんと話している。ネットには玄人好みの猫と微妙な言い方で書かれている。
愛とか支配、承認や所有、束縛といった諸々のおよそ無縁に生きているアナキストとでも言えようか。
にもかかわらず、一緒に年月を暮らすと、この全く「かわいくない」こいつを「かわいい」と思ってしまう。不思議なことだが、他に言いようがない。拾ってきてもう17年、何となくこの猫と暮らしている。
すると「かわいい」というのは、「共有」でもあるのであって、「そばにいたい」という感覚だとも言ってもいいかもしれない。
もしよろしければこちらをどうぞ。
とんだ蛇足かもしれないが、女子高生も「かわいい!」を連発する。
彼女らに「かわいい」と言われると胸がときめいたりするが、
「じゃあ、ポケットに入れてお家に連れてってもいいぞ」と言ってみると、
「うわあ、セクハラ」と激しく拒絶される。
彼女らにジジイなど「所有」する気はさらさらない。
彼女らは生まれてくる自分の子供に「かわいい」と言ってあげるために、母になる練習をしている小鳥たちなのかもしれない。
■土竜のひとりごと:第288話
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