第291話:松井と大谷
昔々の話であるが、昔は「巨人・大鵬・卵焼き」の時代。テレビでは毎晩のように巨人の試合が放映されていて、王とか長嶋とかの活躍を父親と一緒に観ていた。
別に巨人が好きなわけでもなかったが、テレビで中継されるのは巨人だったから、自然に巨人の選手は頭に入り何となく巨人ファンだった。
そうそう「巨人の星」がアニメで放映されて根性の時代だったせいもあった。
金にものを言わせて選手を集めてという時代を経て野球を観ることから離れたが、松井が出現してからまた火がついた。「スター」というのはいつの時代でも心を掻き立ててくれる。
そんなわけで僕は松井を見るために、カミさんの冷たい視線に耐えながらテレビを占領してナイターを見、財政の苦しさを訴えるカミさんを説き伏せて幾度かドームの巨人戦を観に出かけもした。
だから、巨人戦のない日には何となく物足りない思いをして過ごしていたし、忙しい時には松井の打席だけを見た。松井の打席が終わるとテレビを消し、そろそろ松井の打席かなと思う頃にまたスイッチを入れる。すると不思議にそこには松井が打席に立っている映像が現れる。
結局、フォアボール。そういえば甲子園で全打席敬遠などという伝説も作った。だから日本の野球はつまらないと思いつつテレビを消し、暫くしてそろそろではないかと思う頃に再びテレビのスイッチを入れると、予想を裏切らず松井がウエイティングサークルでバットを振っている。
そういうことを放送終了まで繰り返すわけである。カミさんは不思議がって「試合はどうでもいいの?」とか「よくそうやって松井の打席がぴったりと当てられるわね」と言うのだが、自分でも不思議に思うほど松井の打席ははずさない。
松井が僕を呼んでいたのである。
夜はスポーツニュース、朝起きると新聞のスポーツ欄で松井情報をチェック。松井がホームランでも打てば何度でも何回でも見たい、松井が打点を挙げれぱそのシーンを何回でも繰り返し見たい、そういう心理に駆られる。
芸能人で言えば、昔は「追っかけ」、今で言う「推し」の心理に近いのだろう。「愛が何度でも確認したい」ものであるように、僕の中に松井君を欲する気持ちが蠢き、感動の追体験への欲求に駆られていたのである。
そんなことを、机の中を整理していたら、昔買った松井のテレフォンカードが出てきたので思い出したのだった。
今、大谷翔平が目覚ましい活躍を見せている。ほとんど超人的と言っていいかもしれない。まさに「スター」である。
ただちょっと思うのは、彼はなんだか完璧すぎてちょっと僕には存在が遠い。
期待を裏切らない活躍。イケメンだし、CMなんかも何でもなくクールにこなしていて、引退したら俳優デビーだってできそうなほどである。1000億円って何?って感じもする。
無論、そう言ったからと言って大谷を嫌いなわけは、ない。
ただ、松井のCMはもっと素人くさかった。
例えば江川に至ってはもっと素人くさかった。
そんなことを懐かしく思ってみたりもするのである。
語弊があったらお赦しいただきたいが、シャイなところがあって、何だかそういうちょっと「どんくさい?」ところがあるのがいいと僕は思ってしまう。どこか人間っぽくって温かい。それでいて実力がある。
そうそう、光源氏も完璧でないゆえに完璧であった。
僕も完璧であることをやめよう(笑)と思う。
■土竜のひとりごと:第291話