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第102話:礼子先生と猫

テストの解答用紙の最後に自由欄として「何か書きなさい」というスペースを設けていたことがある。

何が書かれるのか楽しみではあったが、不勉強を詫びるゴメンナサイ的な辞が多く、次いで問題が難しいとか字が読みにくいといった文句が多かった。
点をくれ!みたいな哀訴も負けてはいない。

「石はなぜ石か」というものもあった。
「何か書きなさい」と書いてある横に「何か」とだけ書いてあるのもいくつかある。「何か書きなさい」だから「何か」と書いたものと見える。
ちょっと頭を使ったつもりだろうか。でも、ダメ。もう少しユーモアが欲しい。

以前、授業で寝ていた生徒がいたので、「君はいま、宇宙に行っていましたね」と言うと、「ハイ」と言う。「宇宙から見た地球はどうでしたか」と問うと、「やっぱり青かったです」と答えたが、せめて、最低限、そのくらいのユーモアが欲しい。まだまだ修行が足りない。


同僚に礼子先生という大変穏やかな方がいたが、ふと「礼子先生のにはどんなことが書かれているのだろう」と気になってピラピラめくってみた。

すると、なんと
「先生の素晴らしい朗読を聞くのが楽しみです」とか
「分かりやすい、温かい授業をありがとうございます」とか
「すてきな授業で古典が好きになりました」
などという感謝の辞があちこちに書かれている。

「石はなぜ石か」などとか書れている僕のとは明らかに違うわけで、思わず嫉妬がムラムラと胸にこみあげたが、すぐに、これも人望の差、あるいは経験、技量がもたらす当然の帰結とおのれの未熟さを反省し、ひそかに脱帽した。


礼子先生は職員からも尊敬されていて、仕事上の悩みから家庭の悩みまで、何でも相談の相手になってくれた。「そうよね」とよく話を聞いてくれたし、たいしたことでなくても「すばらしいじゃないの」とほめてくれた。

だから礼子先生と話すとゆったりした気持ちになって、何だか元気になってくる。先生がいなくなった後、「大きな人だった」「大きな存在だった」とみんな言ったが、まさにベテランの味であり、僕らにとってはお母さんのような存在だった。


その礼子先生が乳癌を患って退職された。

惜しまれたが、やむない。その後も僕は何回かお宅にお邪魔し、学校の話をしたり、その後の様子をうかがったりした。

庭には半ノラ状態の猫がたくさんいて、玄関の陽だまりに7.8匹もがゴロゴロといろんな格好でのんびりと寝ていたりする。猫をかき分けて家に入らなければならない。

中に、犬に噛まれ、ショックからか後ろ足が動かなくなってしまった子猫がいて、「この子だけは家の中に入れて私が面倒見てあげてるの」とその猫を大事にしていた。
前足だけでいざるように歩くその姿は哀れを誘うが、愛らしい子猫で先生の膝の上で撫でられながら、目を細め、幸せそうな顔をしている。

礼子先生が立つと後ろ足を引きずりながらその後をついていく。母親と幼子のようである。「今が一番のんきよ」と平穏な生活を楽しまれていたようだが、後にはお孫さんも生まれ、その世話などしながら元気に過ごされていたようだった。


伺ってもお留守のことがあったりして、しばらくご無沙汰してしまったが、そんなある日、ご主人から「危篤なので会いに来て欲しい」という連絡を受け驚いて病院に駆けつけた。

ご主人とお会いすると、「癌が再発して肺に転移し、今はもう内臓のほとんどが癌におかされている。ここ一日二日の状態である」と言われる。

会わせていただいたが、呼吸が苦しそうで見るからに辛そうである。
それでも「先生、がんばってください」と声をかけると、苦しい息の下で「ありがと」と一言返事をしてくれた。
それが僕が礼子先生の声を聞いた最後だった。

その翌々日に死去され、戻らぬ人となってしまった。苦しくて仕方がないはずなのに、一遍も苦しいとか辛いとか、そんな言葉を漏らさなかった。最後まで芯の強い人間だったとご主人は仰っしゃっていた。

通夜の列に加わりながら、こんなに立派な人がああまで苦しんで死んでいかなければならないものか。最期まで人に気を配って、自分はこんなに立派に死ねるかなど様々な思いが胸をよぎった。


四十九日の法要も終わり、かつての同僚がご家族を招いて礼子先生を偲ぶ宴を持った。いろいろな思い出が語られる中で、僕が「あの礼子先生がかわいがっていた猫はどうしてますか」と尋ねると、ご主人が「我が家と猫の関係は古くてですね」と語り始め、あの猫についてもその後を詳しく話してくださった。

礼子がそれこそ一生懸命面倒を見ましてね。動かない足を娘とさすってさすってかわいがっていましたら、どういうものか立って歩けるようになりました。

思いが通じるということがあるんでしょうか。外にも出るようになって元気に過ごしていたんですが、礼子が死んでしばらく、どこへ行ったのか姿を見せなくなりました。

ところがですね。ちょうど礼子の四十九日の前の日の夜、姿を現しました。でもどうしたものか、前と同じように後ろの足が動かなくなっていまして、後ろの両足を引きずりながら前足だけでいざっていました。

何があったんだろうと思いましたが、とりあえずその夜は段ボールの中にタオルを敷いて寝かせたんですが、翌朝、四十九日の当日、のぞいてみると死んでいました。

娘さんのほうを見ながら、

礼子が天国から呼んだものだろうかなどと家族で話したりしたんですが、そんなことがありました。

と語ってくださった。

猫も恩愛を知るものか、あるいは愛してくれた人を失い生きる支えを失ったものか。話としてはそういうことも聞かないではなかったが、実際に身近で起こってみると、ひどく不思議で神秘的な思いに駆られたりしたのだった。

天国で二人楽しく暮らしていることを切に祈りつつ、謹んでこの稿を閉じることとする。


■土竜のひとりごと:第102話

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