日記 / 「冒険の書 AI時代のアンラーニング」
◌𓈒 Day 125 𓈒𓋜
今日は土曜日。
子どもたちを連れて出かけるつもりだったけど、みんななんだかお疲れ気味で、わたしもちょっと余裕がない感じだったので、家でゆっくりすることに。
夕方少し公園まで水遊びしに行って、ちょっと気分転換。
家にいて休むのもいいけれど、少し外に出て体を動かして、気持ちを外に向けるのも疲れを取るには大事だ。
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先日、孫泰蔵さんの「冒険の書 AI時代のアンラーニング」を序章だけ読んだところで書いた記事。
今日、やっと半分ほど読み終わった。
なんか、パンドラの箱!?的な感じで、序章を読んだだけでその先が読めないままだった。
なんで学校に行かないといけないのか。
なんで学校の勉強は楽しくないのか。
なんで勉強しないといけないのか。
なんで好きなことだけして生きていけないのか。
なんで好きなことをしたまま大人になれないのか。 etc…
自分自身がずーっと疑問に思っていること。
そして、子どもたちになんで?っ聞かれても、明確に説明できないことでもある。。
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とりあえず、
今ある学校っていうシステムと社会のシステム
(学年制、クラス制、基礎を反復学習、競争社会、早期教育重視、専門家がすごくて素人はだめ…とか)
が、なんで形成されたかの一端がわかった。
自分で考えるのを放棄して(放棄してることすら気づいてない)、
権威あるもの(と思い込まされてる)ものを鵜呑みにするように作られている社会のシステム。
それが学校という場で小さい頃から巧妙に刷り込まれている。
(当たり前すぎて、みんな疑わないから、刷り込まれていることすら気づかないっていう。。。)
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かつては斬新で素晴らしく機能していた学校というシステムが、時代の変化とともに合わなくなってきているにもかかわらず、相変わらずのまま(ざっくりいうと、年齢で区分して、集団で個々の興味関心には関係なくまんべんなく教えるというシステム)であることの弊害。
「ライフステージ」や「発達段階」という考え方に、私たちが無意識のうちに縛られていること。
だいたい20歳前後までが学校での教育を受ける時期で、それをすぎたら社会人となり働いて〜、60歳すぎたらリタイアして暇になる〜みたいな年齢による区分(システム)をやめて、人はいつでも学び・遊び・働くをやりたいときに自由にできるようにしたらどうか、という1つの提案。
(おのずと、年齢によって区分けされている学校はなくなる。そもそも、なんで年齢によって学年やクラスという区分ができたのか…という最初の成り立ちもとっても興味深かった。結局は効率とお金なんだけどね。。。)
などなど…
どの章も興味深くて、こんなまとめ方ではざっくりすぎて申し訳ないし全然足りてないのだけど。。。
わたしが知らなかった新しい視点がいっぱいあって、気づくこともたくさんあり…
同時に、いろいろ気づきすぎて、もやもやもしつつなんだけど(自分には扱えない大きなテーマとしてしまってる感じも)、まずは全部読みます!
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散文、読んでくださってありがとうございます♡
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