奪おうとすればするほど渇き、与えようとすればするほど潤う
似た者同士は波長が合うという法則がある。
はじめて会った人でも意気投合して仲良くなることもあれば、
友人同士でも「馬が合わないな」と感じて疎遠になることもある。
人は「この人とはなんとなく波長が合うな」と感じた人とは仲良くなり、そうでない人とは疎遠になっていく。
理由はいろいろあると思うが、
仲良くなりやすい人というのは、自分と似た考えを持っている人だったり、自分と同じような経験をしてきた人だったり、なんとなくフィーリングが合うといった場合もあるだろう。
つまり、似た者同士は寄り集まる。
そうすると、自分が「奪おう」という思いを持って生きていると、似たような考え方の人と気が合うようになり、そういう人たちと仲良くなっていく。
反対に、自分が「与えよう」という思いでいると、そういう人たちと仲良くなっていく。
つまり、自分の「思い」の方向に従って、自分の周囲の環境が変わっていくということ。
例えば、「どうして自分の周りにはこんな奴らしかいないんだ」と思ったとしたら、それはまさに、今の自分がそうだということなのだ。
「奪ってやろう」という思いで生きていると、気付いた時には自分と同じような思いの人ばかりが周囲にいる、ということになる。
それでは奪い合いの中でしか生きられなくなってしまう。
反対に「与えよう」という思いで生きていると、そういう人と気が合うようになり、周りもみんな似たような思いの人たちばかりがいた、ということになる。
そうすると、互いに与え合う中で生きることになる。
どちらが幸せに生きられるだろうか。
誰かの幸せを願ったり、誰かのために何かをするというのは、決して自分が損をする生き方でもなければ、それが「道徳的だからそうすべき」という類のものでもないのだ。
自分が幸せだからそうするだけなのだ。
むしろ、損得で言うならば「自分さえ良ければいい」という生き方の方が損をしている。
幸せであるために、
意識を「与えよう」にスイッチすると、違った世界が見えてくる。
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