「私たち」の範囲を広げる
不幸でありたいと願う人はいないと思う。
みんな幸せでありたいと願っているはずだ。
「幸せでありたい」と願う一人ひとりが集まって国ができている。
だから、国というのは、そこに住む者たちの幸せのために存在している。
問題は、この「そこに住む者たち」=「私たち」の範囲にあると思う。
「私たち」と思える範囲が、自国にしか向いていないから、自国の利益のために他国を攻撃してもいいということになってしまう。
国連のような場でも、それぞれが自国の利益を最優先するから、全体の足並みがそろわない。
全地球的な問題を話し合っていてさえも。
地球というのは、一つの閉鎖された空間だ。
外界と隔絶された孤島に住んでいるのと似たようなものだ。
「地球がもしも一つの村だったら」という例えがあるが、それで言えば、その村には村全体のことを考える村長に当たる人がいない。
自分の家の利益しか考えていない有力者たちはいるが、村全体に対して責任を持つリーダーがいないから、何か問題があると、それぞれの家の意見がバラバラになって、村としての方向性がまとまらない。
今、私たちはそれぞれの国の「国民」という認識から、
地球に住む「地球民」であるという認識を持つべき時代に生きている。
みんな、一人ひとりが幸せでありたいと願っている。
地球に住む人みんながそう思っているのだから、国単位なんて小さなスケールではなくて、地球単位のスケールで「私たち」を考え、みんなが幸せであるために」と考えることが今、求められている。