認知症になっても、亡くなっても残るもの。
前回の投稿で私が最初に「書くこと」をした記憶は、祖母宛の手紙だったと書きました。
その投稿の翌日に、祖母が亡くなりました。ちょっと虫の知らせのようになってしまいました。
入院中でしたので、突然のことではなく、ある程度は予想されていたことでした。
祖母は亡くなるまでの10年ほど認知症でしたので、もう私のことはわからない状態でした。
それまでは私と会うたびに祖母は「あれ覚えてる?」と私が幼いころの思い出話をよくしていました。
認知症にならなければ、このままずっと懐かしい思い出話をたくさんしたでしょう。
そんな話ができなくなってから、私はひとり思い出とともに祖母の人生を思うようになりました。祖母との思い出、祖母がよく歌っていた歌、私によくかけていた言葉。そんな祖母にとって幸せなことはどんなことだったのだろうか。祖母は自分の幼いころからの写真を見せながらよく話をしてくれたので、祖母の子どもの時代から今に至るまでの90年以上もの長い年月に勝手に思いを馳せていました。
その度に、認知症になっていなければもっとたくさんいろいろな話ができるのにと、残念に思うこともありました。
それでも、会う度に認知症を発生する前と全く変わらない印象を受けました。私のことも、さっき食べたお昼ご飯のことも忘れているのに、祖母と向き合った時に感じられる温かさやちょっとお茶目な雰囲気は変わらず、ちゃんとそこにありました。
認知症になっても祖母の本質はそのまま残っていました。純粋に隠すことなく、そのまま現れているようでした。まさに「魂」そのものを見ているようでした。
そのような感じで長いこと過ごしてきたので、私にとって祖母はもう既に「魂」の祖母でした。
肉体から解放されて「魂」だけになった祖母。もう触れることはできませんが、相変わらず「魂」は私の中にあります。思い出せば、いつでも会えます。
祭壇にはピンクのカーネーションがたっぷり飾られていました。
祖母の好きな色です。お花も大好きでした。手を合わせてニッコリしている祖母の遺影にとてもよく似合っていました。
私が祖母にとって最初の孫でしたので、孫たちの中で一番長い歳月を一緒に過ごしました。祖母が大変そうで辛そうだったことも、悲しそうだったことも覚えています。でも、それよりも幸せな時間のほうがずっと多かった人生であったと、空の上で自分の人生の振り返りながら思っていてくれていることを祈ります。
認知症であった最後の空白を埋めながら、私のことを思い出してくれているかな。
いつかまた、私が「魂」だけになったら、ゆっくりと思い出話がしたいです。