みんなが同じ方向をみているときにふと横をみると
みんなが同じ方向をみているときに違うものをみることが嫌いじゃない。好きかどうかというと、明言できないけど、そっちに気がいったり気になる。たいていあちらにはスポットが強烈に当たっていて、大多数の人が目をむけるように構成されているのだけど、その裏側で行われていることに昔から興味があるようだ。
ドラマのジャンル言えばバックステージもののようなものだろう。
シルバーウィーク中で各種各所でイベントやお祭りが行われる。みんながそっちに注目する。でもちょっと立ち止まると、全然ちがうところではいろんなことが起こっている。
そんなこんな言っている間に国葬だとか言っている。みんなが走り出した時にたちどまることもひつよう。そしてみんなって誰だ?って話にもなる。みんなは視界に入っている範囲でのみんなであるだけで、そうじゃないひとはもっと多くいる。みえるものだけにとらわれちゃいけないというのは、自分が見えているものだけを信じるのではないということであり、みえないところにももっとたくさんの価値観があってばらばらだということ。それを想像するということ。そうすればとくに自分が特別ではないと思うし、劣ってもいないし、すぐれてもいないということに気づく。平凡なひとなのだ。
人に影響されやすいことは否定しない。だけど、古典のように、これまでもずっとやり続けていたことに対して真似をしているとか盗まれたという表現をするひとはどうかと思う。例えば手の動きなど、それこそダンサーの人がありとあらゆる表現方法で使いこなしている。現状ならオンラインでもとてもやりやすい表現だ。それにたいして「盗んだ」とか伝えられたら受け止めきれない。
なんでこのひとはこんなことをいうのだろうと。おそらくこれまでずっとそんなふうに私は思われてきたんだと思う。だから今がある。
信用をとりもどすのは難しいから無理をしないで力をためる。いまはそんな時期だ。ダメもとで手に入れているものはなにもない状態だと何にでもチャレンジできる。挑戦することはだれでもできる。選ばれるかどうかは決められない。