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人を傷つけることなく我を忘れる

自分の意見が申し訳ないと思うくらいに提示する、と言う方法がいまのところうまく思いつかない。負けたくないとか言う思いが根本にあるからだと思う。それじゃだめだってことなことはわかっている。わかっているけどどう行動するのかが見えてこない。歳を重ねると勝手に力を持ってしまって、自分はなんでも知っているような気になってしまう。知っていることは大切だし、そうしないと仕事には差し障りがある。だから負けるが勝ちという思考の置き換えなのかしらと思った。違う、そもそも勝ち負けに価値を置かないという切り替えの方がまだ近い。勝ち負けに価値を置かないようにしていながら結局は勝ち負けに拘ってしまうというふがいなさにじたばたしている。
尊敬できる人たちはどうなんだろうと思い浮かべてみる。
私の尊敬できる人といえば、誰よりも人の話に耳を傾けている人であったり、一番深くその物事に対して向き合っていると感じられる人だ。あとは、誠実さと真摯さ。勝ち負けとかそう言うことで言えば、自分との勝負、自分に対するリスペクトも高い。あと、一刀両断にしてそうであいまいなことを言葉にしていること。自分の経験から言葉を紡ぐこと。
まずは、軽く扱わないことから始めてみようと思う。重く受け止めてしまうと動きがとれなくなるから軽く扱わないこと。その違いは大きいかもしれない。言葉も体も軽くあつかうことなく、へたくそなりにうけとめることからはじめること。先入観で物事を判断しないこと、否定しないこと。否定もせず、評価もせず、じゃあ何をするかって思うけど、まずは聞く。
だれかとともに何かを大切にしたり作り上げようとすると、反対意見がでてくるし、否定も評価も心にはうかんでくる。だからこそ、なにをしないかが大切なのだと思う。浮かんできた評価や否定を言葉にすることは、相手に恥をかかせてしまう行為につながる。

「否定を伝えない。評価を伝えない。」こと。
舞台を観た時の感想も難しい。作品の話をしたくなることもあるし、したくないこともある。

他者に対して発する言葉としても、自分に対しても、自分を否定したり評価しないと言うことにも繋がる。失敗したら振り返ったら評価しているし、否定している。

創作の時はもっと踏み込む対応になる。
「アイデアと提案を伝える」ことからはじめることが必要かなと。
これまでは気を使わずに言葉にしてきたのだなということを振り返りつつ、若気のいたりと言うか、苦手だったので、これからどうするかを気を付ける。注意を払うことは相手に対するリスペクト。相手へのリスペクトができるようになれば言葉に反映される。「作品以前に人へのリスペクト。」それがひととひとと繋がる時の根本だ。

あとは、夢中さかなとも。人の意見とか自分の成長とかそれをおいておいて、夢中さを全面に押し出している人になりたい。我を忘れて対象にのめりみつつ冷静さを失わないこと。人を傷つけることなく我を忘れることができること。そういうひとにわたしはなりたい。


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chirico kaworu
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