間を作る

2018年、夢の発表会をした。

「肩書なく繋がる場所、本拠地を作りたい」という内容だ。

その時から、それぞれができることを持ち寄りできるとほしいを合わせて恩返しではなく「恩送り」の関係にしたいと、考えていた。

先日見かけた「共感資本社会を生きる」という本を読んで、この6年間に起こったいろんなこと、いいことも悪いことも含めて「このスタイルで良かったんだ」と改めて思うことができた。

義務教育では障害児と健常児を分離教育し、社会に出たら一緒に働けという。なぜ差別や偏見が生まれるのかというと、知らないことによる恐怖感があるからだ。

多様性といいながら、選択肢がない&選択できる環境や能力がなく、結局は市場主義に淘汰される。

均一化され、お金になる行為がビジネスでお金にならない行為がボランティアになっている。

でも、本当は社会のためになることがお金になるほうが正しいのでは?

今はお金は分断するものになっている。

これまでは衣食住が足りず、生きることに必死でお金は交換の手段だったのに、いまは目的に変わっている。貯めることが目的で、消費ありき。

だから多様はノイズとされ、同質化の波にさらされてきた。

本来自然のものは完璧じゃなくて凸凹していて、何かが得意で何かが足りなくて、だからお互い補える。

生きる意味は自分の中にはなくて、人との間にあるのだ。

お互いが交わり、お互いが当事者になれる場所。

それが、間。

私が作ろうとしていた本拠地は、そういう間なのだ。

マーケットを介さずにつくり手と使い手が直接繋がり、出会い思い合う。

本拠地は何をするわけではないけれど、そういう間を作り出す場所、つまりコミュニティという概念を具現化したもの。

それに共感してくれる人が集まってくれれば無理に集客するものでもないのだ。

お金という資本を集めているわけではないんだから。

信頼して共感できる人が集まっていればそれでいい。

そこから自分の本拠地、コミュニティを作る人が出ることが素晴らしい。

個でためるのではなく、共助コミュニティ=共同財布ということ。

元々コミュニティは資源を分かち合うために生まれているんだから。

6年前、ほとんど耳にしなかった「コミュニティスペース」という言葉を最近見かけるようになった。

それぞれ特色があって、集まる人も違っていて、その人が生きてきた人生の延長線上で成立しているから面白いのだ。

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soratobunezumi@塩畑翔
茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親