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若い頃モテないことは大きなデメリットであり、大きなメリットでもあることを身をもって感じた話
学生時代モテたことがなかった。社会人になってモテたのかと言えば残念ながらそういうわけでもないのだが。
ここまでの人生を振り返って1番のモテ期は小学校高学年ごろだったか。あぁ、人生でたった一度のモテ期ならなんでよりによってそんな時期に。。。
そんなわけで冴えない学生時代を過ごしてきた。似合わない眼鏡にボサボサの頭、好きな子ができても自分なんてと話しかけれない日々、悪が循環し、いわゆるドのつく陰キャラが完成した。今思えばモテたいならせめてモテたいなりの努力をすればもう少しマシな生活になっていたのかもしれないが、当時の私の拗れっぷりはひどく、「身なりを気にしないことへの美学」を探求し、その道を一心不乱に走っていた。心の中では異性に強い関心を持ちながら…。非常に奇妙な人間である。出来ることなら関わりたくないと思うようなこの人間がかつての自分なのだから悲しい。
だがしかし、高校2年の冬、そんな男に、春がきた。
冬なのに…。(こういうのいらないですね…。)
ある日一緒に帰ろうと呼び出され、告白してもらえたのだ。
相手の子は同じ部活に所属しており、本当に数少ないメールのやり取りをしている子の1人だった。
嬉しかった。とにかく嬉しかった。(当時の自分を好いてくれた理由を聞いてみたところ、どうにも恋に恋していただけで本当に人として自分を好きになってくれたわけではないようだったが、そのことを知るのはそれから何年も後の話、当時の自分は知る由もない…。)
きっかけはどうであれ、生まれて初めて彼女ができたのだ。この後この出来事は、私の人生に数えきれないほどの幸せと絶望をもたらした。
さてさて、彼女ができて有頂天になったのも束の間、私達は3年生になった。私達の通っていた高校は一応進学校であったため、3年生になると(進学率はともかく)皆受験勉強を始め、私も彼女も勉強をしたり勉強をしているふりをしたりするのが忙しくなり、一緒に過ごす時間はほとんどなくなってしまった。しかし幸いにも心の距離は近づかないまでも遠ざからず、交際を続けたまま、地元の同じ大学へと進学した。
そして大学に入ると、ついに交際らしい交際が始まった。生まれて初めて女の子と一緒に映画を見て食事をして、それはそれは幸せな時間だった。恋愛経験の豊富な友人から聞いた、デート代は男が払うものだという教えももちろん励行した。彼女さえいれば他には何もいらないと心の底から思った。この頃の幸せな思い出は数えきれないほどあるが、すべて書いてしまうとそれだけで20年ほどかかってしまいそうなので今はこの辺にしておく。
しかし、交際は楽しいことばかりではない。20代前後は多くの人にとって新たな自我が芽生える時期ではなかろうか。私達もまさにそうだった。3年の冬頃だったか、当時の自分はあまりにも世間の常識みたいなものに囚われた人間になっていた。具体的には安定した職業について、彼女と結婚して子どもを持てばきっと一生幸せに暮らせるはずだ、とサザエさん家族でもモデルにしたかのような考えで生きていた。一方、彼女はある意味で常識に疑問を持つ人間になっていた。進路について考える時期になり、世間と私が職を探す中、彼女はこのまま進んだ際に想定される将来に疑問を感じ大学を辞めた。反対を嫌がり、手続き完了間際に伝えられた。今ならそれは必ずしも悪い選択ではないと思えるが、当時の自分には理解が難しかった。
また悪いことは重なってやってくるもので、その頃彼女は男性全般に対して嫌悪感を抱くようになった。その他いくつかのことが重なっていつの間にか私は振られてしまった。
体感としてはある日突然起きた出来事だったが、おそらく実際にはそれなりの時間をかけて起きるべくして起きた出来事だったのだろうと思う。
私は絶望しては、どうすればこの事態を避けられたのかを考え、答えが出ずまた絶望した。とても恥ずかしい話だが本気で死のうと思った。浮かんできた家族の顔が止めてくれなければ、おそらく高い建物から飛んで今頃あの世にいたのではないか。
友人のほとんどは慰めの意味も含めてのことだと思うが、私を擁護し、そんな彼女とは別れられて良かったじゃないかというようなことを言ってくれた。しかし、当時の自分にとってはどうしても彼女のいない人生に意味を感じることができなかった。
大学最後の1年間、私はほとんど死んだように過ごしたが、たった1つだけ希望の光があった。彼女だったその人は連絡先だけは残しておいていいと言ってくれていたのだ。とはいえ、下手に連絡すればストーカーみたいに思われさらに嫌われてしまいかねないし、そもそも相手は性嫌悪状態なのだから元通り関係を修復する方法など浮かばない。ごく稀に練りに練った文章を送っては、点線のようになった関係が切れてしまわないようにすることだけに魂を燃やす時間が体感50年ほど流れた。(実際は1年半ほど)
その間彼女は日本全国いろいろなところで短期の住み込みアルバイト等をしており、直接会ってもらえたのは10分を2回ほど。毎晩のように、もうさすがに諦めるしかないのではないかと思ったが、寝て起きたらまた性懲りも無く諦めきれない男として目覚めた。
そんな毎日を繰り返しているうちに、少しずつ彼女だった女性と連絡を取れる頻度が上がり、彼女はまたほんの少しずつだが自分に対して心を開いてくれるようになった。私はこのチャンスを逃すまいと、思考を巡らせ、それからしばらくの後、遂に復縁に成功した。死ななくて良かった。人生は生きてれば必ず良いことがある。振られてからずっと人生に価値はないとぼやいていたくせに急にそんな気分になった。とにかく嬉しくて、ある意味最初に交際した時以上に信じられない気持ちだった。復縁した後も、性嫌悪はそれからもそこそこ長らく続いたし、その他にもあらゆる問題があった(たぶんまたそこにフォーカスして今後記事を書くこともある)が、紆余曲折ありながら最初に交際してから9年以上が経った現在、交際が続いている。ここまで読んでくださった読者の方はほとんどいらっしゃらないと思うし、もしいらっしゃっても感情移入できる部分は少なかったと思うが、張本人の私としてはいろいろなことを思い出し、タイトルを忘れそうになるぐらい心がヒートアップしている。
が、なんとか頭を冷やして、このタイトルにした理由を思い出す。
ここまで書いてきた彼女から、彼女だった人になって、また彼女になってくれたこの女性についてだが、なぜ自分がこの女性をここまで好きになれたのか、言い方を変えればなぜここまで執着してしまったのか。その理由こそ、タイトルにした若い頃、或いは学生時代にモテなかった経験によるところが大きいのではないかと考える。恋愛において自分が選ぶ側の経験を沢山してきた人間なら相手と自分との間に合わない部分があった場合、もっと良い相手がいるはずとか、合わないからこの人はやめておこうとかいう考えに至りやすいのではないだろうか。また比較対象がいるということは、交際相手に対する評価に繋がりやすいのではないか。自分の場合、あんなにモテなかった自分にこんなに素敵な彼女ができた。この人を逃したらもう自分には一生こんな人現れないかもしれないという考えが根底にあった。だからこそ良く言えばここまで迷いなく彼女を愛し、悪く言えば彼女に固執したのだと思う。人間わがままだしifの世界を常に考えてしまうから、正直あの時彼女に固執しなければもっと幸せな今があるのではないか、もっと良い相手がもしかしたらいたのではないかなんてことを考えてしまうこともたまにだがある。いや、時期によってはそこそこある。しかし、彼女としかまともには交際してこなかったが故に、比較対象がなく、結局今の相手が1番なのかもしれないとも思うことができる。
恋愛経験が少ない方で、自分でいうところの振られた段階ぐらいの方に対して、自分と同じようにその人に執着した方が良いよ、などと言う気はまったくない。むしろまだ若くてその段階なら幾らでもさらなる幸せの可能性はあると思うし、ぜひとも星の数ほどいる女性に一度目を向けていただきたい。ただ、どうしても1人の女性に執着してしまうという場合は、1ミリでも光があるなら諦めずに追ってみても良いのかもしれない。(もちろんストーカーにだけはなってはいけません。)
結果どちらが幸せになれるのかはもちろん分からないけど、とりあえず今の自分はこの道を選んで良かったと思えている。若い頃のモテない経験は自己肯定感を失うし、恋愛的な意味においては時間も無駄にしがちだし、デメリットまみれではあるが、1人のパートナーさえ見つかれば身を削りながらも誰とも比較することなくその相手に満足して、気になるところもまあこんなものかと納得して、生きていけるという大きなメリットもあると思う。
私も今後も山あり谷ありだと思うが、再び振られないことを祈りながらパートナーと関係を続けていけたらと思う。
最後に誠に恐縮ではありますが、ここまで読んでくださった方に一問だけ問題を出題させてください。
モテる人生とモテない人生、選ぶべき人生は?
正解 モテる人生
完。