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評価は”〇”

早朝5時から、ママ業が始まり、ノンストップで仕事をこなし、再び子供たちとの夜時間。

帰ってきてからの時間は、子供も大人も疲れている。だから、子供たちはケンカにワガママ三昧。ママはそのやり取りが脳みそに響き、イライラしっぱなし。

そんな、ある日4歳児の兄が、

「ママはマルね」と。

あー、何かのゲームの始まりか。と、少々面倒を感じる。子供の相手をするには時間と心の余裕が必要な私。それに加えて、子供の相手が苦手。なかなかパパのように「え、なになに?」とすぐに子供目線で会話ができない。

この時も、立ったまま上から兄を見下ろし

「うん」と頷くだけ。すると

「ママは、いつもマル」

「ママは、叩かないからマルね」

「ママは、ちゃんとご飯食べるからマルね」

「ママは、歯磨きできるからマルね」

「だから、はい、これ」

と紙に”〇”とだけ書いた手紙をくれた。

あっ、理解するのに数秒。ゲームじゃない。

noteを始めて、自分の足りない経験が少しわかってきた。言語化することで、自分の子供に、ちゃんと知ってもらわなきゃいけない事柄が具体的に何なのかわかってきた。そして、この場面。

立って聞いてる場合じゃない。座って、兄の目線にして

「ありがとう」と伝える。

ここでやるのか、子供にぎゅ、って抱きしめてあげること。と勇気を出し、恥ずかしさを押し込めてやってみる。すると兄は素直に、ママに抱き着き

「ママ、大好き」とささやいてくる。

この言葉にも返事をしないと、と再び勇気を出し、恥ずかしさを押し込めて

私も「ママも、大好きだよ」と返事。

こんな、どこにでもある子供とのやり取りを、私は自然にできない。瞬間、瞬間で、感じて、まずやってくる”恥ずかしさ”と闘って行動にしないとできない。でもこれは、noteを始めて、できるようになったこと。

子供の成長に少しでもいい糧になれば、ママ業冥利につきる。

この手紙、こんなやり取りもできたから、大切にしまっておこうとすると兄から

「あっ、ちょうだい、大丈夫だから」と回収されてしまう。

「え、ママも大事にできるよ」と言ってみたけど、そこは頑なに

「あー、大丈夫だから」と。。。

まーでも、その、”マル”という評価をしてくれてありがとう。それだけで、なんだか救われた気分になった。そして、やり取りできた自分に〇。

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