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観察する女-再会② 性欲処理に利用される私たち
心の距離
私の思惑は、静かに溶けていった。
「映像...とても綺麗に撮れていますね」
彼女の声は、予想以上に柔らかだった。
イヤホンを通して流れる音と、画面に映る彼女の姿。
それを前にして、彼女は穏やかな表情を浮かべている。
瞳の奥に宿る感情は、複雑で深いものだった。
「その...これは」
言葉に詰まる。
想定していた展開とは、全く違う方向に進んでいく。
彼女の態度には、非難も怒りもない。
むしろ、どこか懐かしむような、そして期待するような色が混じっている。
「光の加減も素敵」
彼女は続ける。
「特にここ、月明かりの反射が印象的です」
まるで思い出の写真を見るような口調。
私の手が小刻みに震える。
スマートフォンを握る指に、緊張が走る。
彼女の反応が、私の心を更に深い混乱へと誘う。
「撮影は...楽しかったですか?」
その問いかけに、私の心臓が跳ねる。
彼女の瞳には、もう警戒の色はない。
代わりに、どこか艶めいた好奇心が宿っている。
それは非難ではなく、純粋な興味のように感じられた。
「いえ、これは...その...」
言い訳めいた言葉が、自分の耳にも空虚に響く。
事実、私はこの映像を何度も見返していた。
それは単なる記録以上の、もっと深い意味を持っていた。
「そう」
彼女が優しく微笑む。
「でも、大切に保存していたんですよね?」
的確な指摘に、言葉を失う。
確かに、消すべき映像だったかもしれない。
でも、できなかった。
それどころか、夜な夜な再生しては、画面に映る彼女の姿に心を奪われていた。
「電車の中で...私のこと、よく見ていてくれたんですね」
その言葉に、驚きで目を見開く。
私たちのことを、気付いていたのか。
でも、その声には非難の色はない。
むしろ、嬉しそうにさえ聞こえる。
「ええ、覚えています」
彼女の声が優しく響く。
「二人とも、とても...真剣な眼差しでした」
意表を突かれ、言葉が出ない。
主導権を握れるはずだった状況が、穏やかな会話へと変わっていく。
それは予想外の展開だったが、どこか安堵感さえ覚えた。
「撮影、上手いんですね」
彼女が身を乗り出してくる。
「あなたの視点...とても興味深いわ」
答えられない。
用意していたはずの言葉が、喉まで出かかって消えていく。
彼女の態度には、予想していた反応とは全く異なる、温かみのある親密さが感じられた。
「実は...」
彼女の声が囁きに変わる。
「あの時から、気になっていたの」
その瞳に捕らえられ、逃げ場を失う。
カフェの喧騒が遠のいていく。
今、この空間には彼女の柔らかな声だけが存在しているかのよう。
「あなたの撮影が、私を虜にしたのかもしれない」
その告白に、私の心が大きく揺れる。
映像を見ながら感じていた興奮が、彼女との直接の会話で、より深い感情へと変化していく。
「友達と二人で撮影していた時」
彼女が続ける。
「どんな気持ちだったの?」
耳元で囁かれる言葉に、記憶が蘇る。
美咲との会話。
高鳴る鼓動。
互いの吐息。
それは単なる記録以上の、もっと特別な瞬間だった。
「映像、もう一度見ませんか?」
その提案に、私の理性が揺らぐ。
彼女と一緒に見る。
その状況を想像しただけで、体が熱くなる。
それは恐れではなく、純粋な期待に近い感情。
「今度は...」
彼女の指が、そっと私の手に触れる。「二人で、ゆっくりと」
柔らかな接触に、小さく息を呑む。
今や、私の中の感情は大きく変化していた。
最初の緊張や戸惑いは消え、代わりに穏やかな期待が芽生えていた。
「それとも...」
彼女の目が優しく輝く。
「お友達も誘ってみる?」
美咲の存在を思い出し、体が震える。
あの時、共に体験した特別な時間。
そして今、新たな展開の予感。
それは脅威ではなく、むしろ心躍る可能性として感じられた。
「どう?」彼女の声が誘うように響く。「三人で...この続きを見ませんか?」
午後の陽光は依然として明るく差し込んでいた。
でも、私の意識は既に、彼女が示唆する親密な時間への期待で満ちていた。
スマートフォンの画面が、私たちの間で小さく光る。
その中に映る映像は、もう威圧の道具ではない。
むしろ、私たちを結びつける特別な思い出となっていた。
そして私は、自分の思惑が完全に変化したことを、むしろ心地よく感じ始めていた。
それは強制された変化ではなく、自然な感情の流れのように思えた。