ハンドドリップでコーヒーを淹れると、訪れる平穏
どれくらいの共感が得られるかわからないが、頭の中に吹き荒れる嵐はやまない。
ただでさえ「考えすぎ」と言われるが、それが何か1つ2つのことを集中して考えているならまだよい。
これがSNSなんかでいろんなテキストを見ると、無数の情報が飛び込んでくるので、無意識に多方面のさまざまなことを考えてしまい、気づいた時にはどっと疲れている。肉体的にも精神的にも。
それならスマホやPCの画面を見るのを控えればいいだけの話だが、ドーパミンを求める身体は、理性を超越して再び情報の海へと航海を始めてしまう。
加えて、~高校までと違うのが、生活の中での緩急のなさ。
大学でリモート授業やオンライン就活が始まってからは、移動や休み時間といった時間のメリハリが強制されないので、なんとなーく集中できないし、なんとなーく作業を続ける、という感じになってしまいがちだ。
だから、余計に思考がとどまるタイミングがない。
そこで、よい平穏を与えてくれるのが、コーヒーを淹れる時間。
特に、ハンドドリップでコーヒーを淹れるという行為は、趣味としてかなりおすすめしたい。なんかかっこいいし。
ハンドドリップというのは、珈琲豆を挽いて粉にし、粉にお湯をかけてフィルターでこす、という純喫茶店でマスターがケトルをもってやってそうな一連の流れのことだ。
まず、おいしいコーヒーを淹れるという作業に集中できるのが良いポイント。思考の方向性を一時的に一義に決められる。
料理にも同じことが言えるけど、料理はちょっとかかる時間が長い。
次に、ドリップ中の楽しさ。どのように熱湯をかければおいしく抽出できるかを考えながらドリップするのが楽しいし、沸き立つ珈琲の香りも同時に楽しめる。
ここでも料理と差別化するならば、多少失敗しても取り返しのつかない味にはならないという点が挙げられる。
そもそも料理をするには材料がそろっていないといけないし、その過程で失敗も起こる。わっしは以前ハンバーグを作る際、牛乳がなかったのでミルク味のプロテインで代用したところ、全く固まらずに嘔吐物みたいな肉の散らばりが生成されてしまった。もちろん大変不味い。
最後に、マグカップに移してコーヒーを飲むときの安らぎ。ごちゃついた脳内がコーヒーの味ですっきりするし、次の作業にも集中して取り組めるようになる。
という風に、情報社会の中で程よい平穏を与えてくれるのが、ハンドドリップによるコーヒーの抽出だ。
コーヒーミルや豆を買いそろえるのが大変という人は、あとはお湯で注ぐだけ状態のペーパーバック的なものがコーヒーショップで販売されているので、そちらを試してみてもよいかも~。
⇧こんな商品のことね。
本日もコーヒーを飲んで思考をクリアにしているわけだが、このハンドドリップという趣味は昔好意を寄せていた先輩に教わったものなので、少なからずそれが頭をよぎり、せっかくやってきた平穏が吹き飛ばされてしまうのが惜しいところ。
Podcastもやってます。今回は珈琲豆に関する回をご紹介~
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