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【感想】「アイの歌声を聴かせて」から飛んで考えるAI論

※本編の内容に触れています。
※個人の見解です。
※注意して読んでいただければ幸いです。

すごい映画があると聞いて

 ネット上の界隈で、すごく話題になっている映画があった。
 それが今回感想として投稿する

「アイの歌声を聞かせて」

である。
 様々な人々が絶賛し、今もロングランで公開している。
 僕はつい先日、この映画の話題性に興味を覚えて「エターナルズ」と一緒に見に行った。
 結論から言って、かなり出来の良い映画だった。ついては、感想と勝手にAIの作劇の持論を描こうと筆を取った次第である。

アイの歌声を聴かせての概要

題名:「アイの歌声を聞かせて」
ジャンル:アニメ
制作年:2021年
上映時間:108分
監督:吉浦康裕
主演:土屋太鳳
出演:福原遥 他
あらすじ:
 景部高等学校に転入してきた謎の美少女、シオン(cv土屋太鳳)は抜群の運動神経と天真爛漫な性格で学校の人気者になるが…実は試験中の【AI】だった!
 シオンはクラスでいつもひとりぼっちのサトミ(cv福原遥)の前で突然歌い出し、思いもよらない方法でサトミの“幸せ”を叶えようとする。
 彼女がAIであることを知ってしまったサトミと、幼馴染で機械マニアのトウマ(cv工藤阿須加)、人気NO.1イケメンのゴッちゃん(cv興津和幸)、気の強いアヤ(cv小松未可子)、柔道部員のサンダー(cv日野聡)たちは、シオンに振り回されながらも、ひたむきな姿とその歌声に心動かされていく。 
 しかしシオンがサトミのためにとったある行動をきっかけに、大騒動に巻き込まれてしまう――。
 ちょっぴりポンコツなAIとクラスメイトが織りなす、ハートフルエンターテイメント!(※HPより転載)

https://youtu.be/58q1s6B8lCM

古き良き学園ものの文脈

 まず、この映画に抱いた最初の感想は、”懐かしい”と言う感情である。もちろん高校時代を思い出したわけではない。往年の学園アニメの王道の感覚を思い出したのだ。
 ”涼宮ハルヒの憂鬱”などに代表される学園ものアニメは、これまで数えきれない程の量が作られてきた。今や、作られていないジャンルはないのではないかと言うほどだ。それは、”がっこうぐらし!”などの奇を衒ったものから、王道のものまでありとあらゆる世界観で描かれている。
 それらの飽和し、出し尽くされた学園ものは既視感があり、どれも見たことあるなと思ってしまうことも少なくないだろう。

 だがしかし。

 本作品において、その既視感は安心さとなる。
 なぜならば、”ミュージカル”と言うイロモノ要素があるからだ。

 この作品でミュージカルをするのは、ポンコツAI・シオンだ。このキャラ一人のみと言っても過言ではない。こいつ、初手から歌うのである。
 正直、この場違い感と言ったらない。寒気すら覚える。共感性羞恥を持つ人が見たら、目を背けるだろう。それぐらい、異質なのだ。
 しかし、それを緩和している要素こそ、学園ものをしっかりやっている既視感たる安心感なのである。
 既視感のある安心できる地の足ついた学園要素。これが僕たちを置いて行かない。だから、シオンの異質さたるミュージカル要素に登場人物と一緒に戸惑い、おんなじ目線でシオンを見れるのだ。
 また、逆にシオンの異質さをより際立たせており、彼女が明確に人間ではないことを演出する。人とAIの交流を描いた本作品の強みを、これでもかという風に生かしている
 これでさらに面白いのが、映画が進むごとにだんだんとシオンに世界観も登場人物も僕らも追いついていくことだ。突如として歌い出し、サトミを幸せにするべくラーニングしていく。彼女の真摯さに胸打たれ、そして物語の転たる彼女の捕獲にキャラと共に叫び、シオンの思いを知ったとき涙するのである。
 学園ものとして、きちんとした安定感があるからこそこの作劇は生きるのである。

人とモノの百合

 本作を究極に一言で言うと「人とモノの百合」と言えるだろう。
 トウマが作った原型は、インターネットに逃げて以来サトミを見守り続け、そして、今彼女が幸せではないと断定すると解決に動く。それがシオンになることだった。
 シオンになりラーニングとアウトプットを繰り返していく中で、人間たちは迷惑ながらも、交流を深め人間たちは彼女を中心に関係を築いていく。
 そして、中心たるシオンの破壊の危機。
 サトミはシオンが幸せにしてくれたように彼女を幸せにしたいと願い、ラストの行動へと繋がる。
 ここに繋げるためのストーリーの無駄のなさと伏線の貼り方。
 これが、この作品が評価されている所以だろう。
相互に人とモノが想い合う結果、幸せになる。この作劇を見事に無駄なくまとめ上げた手腕は、本当に素晴らしい
 破綻する場所がなく、キャラの想いはきちんと一つに集約されて消化される。
 まず、気持ちの良い映画である。
 悪役の大人が役割だけなのが残念だが、余計なことをされるとノイズになる可能性があるのでこれで良いと僕は思う。
 映画として、音楽よし、ストーリーよし、演出よしの三拍子揃った素晴らしい作品だった。
 話題になっていなければ、タイトルすら知らなかったので見に行けてよかったと心から思う。

AIを描くということ

 さて、ここでAIの作劇に対して一考を投じたい。主な主題は、人とモノの違いである。
 AIモノで最も僕が好きなのは”Beatless”という作品である。
 概要は以下の通り。

Beetless
長谷敏司著
あらすじ:
22世紀初頭、社会のほとんどをhIEと呼ばれる人型ロボットに任せた世界。21世紀中ごろに超高度AIと呼ばれる汎用人工知能が完成し、人類知能を凌駕、人類はみずからよりはるかに高度な知性を持つ道具とともに生きていた。100年あまりで急激に進行した少子高齢化により労働力は大幅に減少したが、その穴をhIEが埋めることで社会は高度に自動化され、生活は21世紀初頭よりも豊かになっていた。
そんななか、hIEの行動管理クラウドのプラットフォーム企業「ミームフレーム社」の研究所から5体のレイシア級hIEが逃亡する。「モノ」が「ヒト」を超える知性を得たとき、「ヒト」が「モノ」を使うのか、「モノ」が「ヒト」を使うのかといったテーマと、「ヒト」と「モノ」のボーイ・ミーツ・ガールを描く。

https://youtu.be/ZKVpM8esO6Q


超傑作なので、ぜひ読んでいただきたい。(アニメでも良いが、小説のが僕は好きである。)
 この作品で、注力されていると僕が感じているのはAIはモノであるという点である。人ではないし、生きているわけではないということだ。
 前提として、モノは思考しない。当たり前であるが、与えられた命令をこなすために存在している。従来のモノは、人の手によって使われることで行動を援助し、目的を遂行するために補助していた。
 AIは、この延長線にある。
 その革新的なところは、人間の思考すらも補助できる領域に到達したことだ。
 たとえば裁縫をするとき、手でやるのは面倒だし耐久力もない。だからミシンという道具を使う。
 ここにAIが加われば、どんな縫い方がいいかも思考してくれるし、あるいはどこを縫ったらいいかまで判断してくれるだろう。
 これこそがAIがもたらす革新なのだ。
 決して、いわゆる新しい生命体を目指しているものではない。
 生まれることや、思考することを目的にしていない。
 もしそれらが目的になるときは、人間がそうするように命令して、そうなるための道具として作られたら、だろう。
 つまり、モノには目的があるのだ。目的があるからモノであるし、道具である。AIも、それは変わらない。逆に人は、ただ生まれただけで、生きる目的なんてよくよく変わるし、ない人もいる。一つに決めている人なんて稀だろう。
 人とAIの大きな違いはここにある。
目的のために生まれたのがモノ、つまりAI。
 目的なく生まれたのが人、つまり人間。

 ”何をするために存在するのか”が先にあるのか、結果にあるもしくはないのか。
 AIが人間と同等の思考をする生命体になる可能性の未来に、これだけは忘れてはいけないのだ。

 そして。
 本作にこれを当てはめて考える。
 本作の感動するポイントはまさしく、この道具・モノとしてのAIが目的遂行のために人らしさに近づき、他者を思いやる心に至るからだろう。
 AIが与えられた命令「サトミを幸せにすること」は、長い時をかけてラーニングを通じて愛へと変質していく。その発露こそ、シオンのサトミに対するこだわりであり、行動である。
 目的の遂行のために、思考を通じて結果的に人と同等のモノに変わっていく。
 人は、サトミは、それに「ありがとう」というのだ。
 だから素敵で素晴らしい。
 人は最初から人だ。
 モノは結果的に人らしきものになる。人のために。
自分を想うに至ったモノの冒険譚に、人々はここまで涙した。

人は影響を受けて勝手に変えられる

 これを受けて、僕はだからこそ最後に書き連ねたいことがある。
人として生きる中で、なんのために生きるのかという問いに対する一考だ。
 先述の通り、モノは目的があって生まれるが、人は目的なく生まれる。
 だから、”なんのために生きるのか”なんて目的論は、最初からなく、考える必要がないということだ。あるいは、何個考えてもいいだろうということだ
 人は、モノではない。モノが人のようになる未来はあり得るが、人がモノようになる必要はない。
 僕はこのために生きているとか、これこそが僕の生きる目的だとか、このために生まれたとか。
 そんなモノが見つかったらラッキーだし、見つからなくていいのだ。だって僕らはAIじゃないし、道具じゃないのだから。
 一つに絞るの生き方だし、三つ四つあってもいい。取っ替え引っ替えでもいいし、なくたっていい。
 ただ、自分で決めた何かがあるのなら
それを信じて、ダメなら変えたり、アップデートしたり、下げたりして生きていけばいい
 物語シリーズの貝木泥舟も言っている。
 「かけがえのない、変わりのないものなんてない。」
 逆にAIが、自らに生きる意味を定義できるだけの思考をし始めたら初めて、人間と同等の生命体になるのかもしれない。
 少なくとも僕は人間だ。
 だから、のらりくらりと適当にその場その場で生きる目的を変えながら時間と金を使って、今日を終える。
 それこそこの映画を見たように、話題の映画を探して席を予約して見にいくように。

終わりに

 作品の感想から飛んで、AI論と人生論を語るに至ってしまった。少なくともこの作品にはそれだけ考える魅力があって、面白いということだ。
ぜひ見に行っていただきたい。
 面白いに背中を押されてどうにか今日や明日を生きれるのだから。
 この面白いを味わってください。
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

そらさき

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