みんなみんな
こんにちは。そらです。
卒論関係の研究で、化粧、装い、メディア、美容整形、身体観などキーワードに本を読みあさっています。
そこでこんな言葉が
ペルソナの危険性として、本性を隠蔽できる利便性ゆえに硬化しやすく、自我とペルソナの同化をまねいて脆く壊れやすくなってしまう。仮面が癒着した心は窒息して自由な動きを失う。常に職業や社会的地位などに相応しい「顔」のままになってしまい、個性が表出されない状態がつづくと心は窒息してしまう。社会の要請にわかせすぎていて心がいきいき動かず、自分の真の思いがわからなくなる。
『身体は誰のものか 身体表現と身体ケアの比較史』 昭和堂
これは化粧をする前を すっぴんと表現するが、実際化粧をした後の自分が本物で、素であると認識している人が多いといった議論の中で、人に見せる顔のさまざまをペルソナとして捉えている例です。
私たちが他人に対して向けている、顔、まなざしは自分で操作しているようで、実は他人に貼り付けられている顔、そう向けられるようにさせられたまなざしなのではないか、とふと思うのです。
自分らしさって何だろうそう考えた時点で他人からの評価をもとに思考したり、他人と比較することで自分が何者なのか判断している、つまり、社会に依存しているのです。
見せたいように貼り付けているペルソナ、知らないうちに外れなくなってしまったらこわいですよね。
わずかな隙間をそっと保てる余裕をもって
生きたいものです。