グリンピースが嫌いな母の話

小学生の頃、イジメられていた、とは言わないが、小学生だった私にとっては地獄のように感じていた数日間がある。女子生徒の中で順番に巡ってくる1週間程度の「無視」だ。私は「学校へ行かない」と泣き喚いた。しかしその時母は、「学校へ行きなさい」と玄関から引きずり出した。その日に学校でどういう思いで過ごしていたか記憶がないから、多分だけどその無視はすぐに終わりを迎えた。

これもまた、小学生の頃、跳び箱の八段を縦で跳べない日々が続いた。そのことを母に言ったら「保険入ってるから大丈夫だよ」と言った。そしてその一言は私にとって魔法の言葉で、あっという間に跳べるようになった。

今の時代、学校へ行かないことも大切な選択肢だと思う。そして怪我をすることが怖くて、跳び箱が跳べないことも無理する必要はなかったのかもしれない。しかし、私は私を育ててくれた母の子育てが大好きだ。母の子育てを受けた私は今、結婚したいという感情より先に、子供を育てたいという気持ちが強い。そんなことを言えば母は「子供作るのなんて簡単だよ〜」と言ってくるから、子供思いなのかそうではないのか、なんともこれから生きていくのにも肩の荷が降りるというものだ。

人間はみんな生まれた時は人見知りだけど、親がその人見知りを許したら人見知りを言い訳に挨拶ができないことを許すことになる、と人見知りの完全否定は、私の性格の開花だった。熱いものは熱いうちに食べなさい、と猫舌すらも言い訳にならない食卓。かと思えば「シュウマイについてるグリーンピースは醤油を入れるための穴を作るためだよ」という教育の真実は、母がグリンピースが苦手なだっけだっだ。

私がもし、母の元に生まれて来なかったら、という想像は容易にできる。それだけ、後天的に出来上がったと感じる私の要素が多すぎる。もし、母の元に生まれてくることができなければきっと、部屋に閉じこもって本を読んでいることで満足できる私だったはずなのだ。

「ねぇ、おかあ、ちょっと聞いてくれる」
「なに、お金はないよ」
「そうじゃなくて、来月から1ヶ月くらいヨーロッパ行ってくる」
「ああ、そう。いいね、人生楽しそうだ」

私が今の私であること。携帯を持たせてくれなかったこと、持たせてくれた後もパケットし放題をつけてくれなかったこと、みんなお小遣い3000円だったところ1000円だった苦しみをも(みんなって、本当にみんななの?という声が今にも聞こえてきそうだ)今の私が、たまに頑固との境目がわからなくなるほどに自分を持てる為の教育だったのではないかと錯覚してしまうほど、母の手のひらでコロンコロンに育てられたことに感謝して、今年の母の日は終わりにしたいと思う。いつもありがとう。

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