閉じ込めた時間のつづき

先月参列した時にいただいたお花をドライフラワーにしていたのだが、今日完成した。アレンジメントされたお花だった為に茎が短く、どうしたら可愛く見せられるだろうか、干しているお花の姿を眺めていても思いつかず、刻一刻とドライ完了に向かってお花は水分を飛ばしていく。今まで完成したお花たちは瓶にさすか、壁に吊るすかの飾り方をしていたのは、どこかでみてかわいいと思った飾り方、だったように思う。

そして本日、干していたお花の収穫と至ったわけだが、お花たちを触ると私の手は作りたいものが明確になっていた。想像していたわけではない。でも、このお花たちは私の家にきて、この姿に生まれ変わる運命だったのだななんて思ってしまうほどに可愛らしく仕上がった。

小さな小さなブーケ。これは、新郎新婦にプレゼントしても喜ばれるのではないか。自分の思い出の整理の一つとして作っていたはずだが、プレゼントしたら喜んでくれるかなと想像しながら一つ一つを束ねていった。そして同時に、自分で作ったものを人にあげたいと思えたことが嬉しかった。あげられるだけの出来栄えだと思えたところまで、ドライフラワーを作る腕は磨かれたのだ!

ドライフラワーは少しばかり根気がいる。干している間、グッとこらえてドライしている数日間(今回は6週間くらい干した)、触りたい気持ちを堪えなければならない。触っちゃダメだと余計に触りたくなる症状は何も子供だけに与えられたものではない。

最幸の時間である結婚式の空間を彩ったお花が、少しくすみを伴って、それは思い出を回想する時、写真にセピア色のフィルターをかけるだけでなんとなくよく見えてしまうのと同じことで、このドライフラワーが今手元にあるということは、あの最幸の時間があったことの証明であると私は思っている。写真も然りだ(セピア色にフィルターをかけずとも)。その時間が過ぎても余韻に浸る素材があり、写真の中に閉じ込められた時間がそこにはある。その瞬間が終わってもこうやって楽しめること、ドライフラワーを作ることも、写真を撮ることも、私の趣味はコスパがいいな、とこれは急に現実的だがそう思っている。

来週、これをプレゼントしたらどんな顔をしてくれるかな。幸せな空間を閉じ込めたそのつづきが、今は楽しみだ。



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