【連載小説】ぼくは、なつやすみの『すきま』に入った。(第5章)…最終章
「まあ、ないもんはしょうがねえな。見つけりゃいいんだからさ」
一郎が何でもないことのように言ったので、僕は少し落ち着きを取り戻した。
「うん…でも…」
「一緒に探してやるからさ、とりあえずここ、片付けようぜ」
僕たちは秘密基地を片付け、火の始末をした。崖の入り口を木の枝や雑草で隠すと、すっかり元通りになり、ここに洞窟があるだなんて誰にも分からないだろうと思った。
「じゃ、探しながら行こうぜ」
一郎が言った。
探しながらって言ったって…。
河原には、似たような石がゴロゴロしている。見つかる可能性があるとは思えなかった。
帰り道、僕は無言だった。
さっきまで楽しくて夢中になっていたので気にならなかったが、僕は急に心細くなってきた。
たっぷり遊んだのに、日が暮れない。少しの風、空気の流れも感じられない。
いつもは意識していないので気付かなかったが、その不自然さが今は怖かった。
触った生き物は時間が動き出すので、時々、足に魚が当たるのを感じたが、網ですくうに気にはなれなかった。
二人は無言で、川下に向かって歩いていった。
やがて、最初に上った滝が見えてきた。
一郎は躊躇なくジャンプし、滝壺に飛び降りた。
僕は怖くて、ギリギリのところで止まってしまった。
滝の上からは、沢山の人の姿が見えた。
僕が石のボタンを押した瞬間から、少しも変わらない景色だった。もちろんみんな、身動きひとつしない。
僕が時計の石を見つけられなかったら、みんな、ずっとこのままなのだろうか。パパやママ、夏乃も…。
「冬里、とんでみな!」
その時、一郎が大きな声で言った。
「えっ…でも…」
「来たときと同じだからさ!」
来たときは下から軽くジャンプするだけで、ふわりと飛べたのを思い出した。
でも、ジャンプするのと、飛び降りるのとでは、怖さが全く違った。
「怖かったら、俺も一緒にとんでやるぜ」
一郎が言ったが、その時には僕はもう、飛び降りていた。
「わ、わわ!!」
ふわり、と体が浮かび、僕はゆっくり滝壺に降りることができた。
「必要無かったな」
一郎は、ニカっと笑って言った。
「この辺にありそうな気がするんだよなあ」
一郎は立ち入り禁止のロープをくぐりぬけると、足元を探し始めた。
「あ、絶対に人に触んなよ。動き出したら面倒だ」
一郎が言った。僕は細心の注意を払って、人の間を歩いた。
時間が止まって分かったことは、普段人混みを歩く時は、お互い少しずつ譲りあっていたんだ、ということだった。
動かない木の迷路を歩いているかのようで、しかも足元が石だらけなので、何度もバランスを崩しそうになって、ヒヤリとした。
僕は、パパと夏乃がいるところに近づくのが怖かった。時間が止まっているだけのはずなのに、生きているようにどうしても見えなかったからかもしれない。
よろけた姿勢で止まっている夏乃に、目をやったときだった。
夏乃の足元の川底に、光が見えたような気がした。
僕はそっと近づいてよく見てみた。
浅かったし、水の流れも止まっているので揺らぎがなく、顔を近付けたらよく見えた。
「あ…あっ!!あった!あったよ!」
川底に、エメラルドグリーンに光る、時計の石があった。
僕は見つかったのが嬉しくて、早く拾いたくて、水の中に手を突っ込んだ。
「おい、気を付けろよ!誰かにさわったら…」
一郎が遠くから叫んだ。
「あっ!」
僕は手を伸ばした瞬間、夏乃の足に触れてしまった。
ドシン!
もともとバランスを崩していた夏乃は、川に尻もちをついた。
「キャッ!!いたーい!!」
「…夏乃!」
「あっ!おにいちゃん、おさかなはー?」
「えっと、あの…」
「…おにいちゃん?あれ?パパ?どーしたの?」
夏乃は、止まっているパパの顔をのぞき込んで、不思議そうな顔をした。
「…えっと…その…えーっと…」
「おにいちゃん?」
「ようっ!!かのちゃん、っていうんだね!俺は一郎。よろしくな!」
そのとき、一郎が近くにやってきて言った。
「だあれ?おにいちゃんの、おともだち?」
「そうだよ!こっちおいでよ、魚、いるぜ!」
「ほんと?みるみる!」
一郎は夏乃を、ちょうど人がいないスペースに連れて行ってくれた。
「なんかさ、かわのなかあるくの、さっきとちがうかんじなんだけど!きもちーい!」
夏乃が言った。
僕の前を通り過ぎる時、一郎が小声で言った。
「楽しかった!ありがとよ。ボタン、押しな」
「また、すぐに遊べる?」
僕は、少し不安を覚えて言った。
「すぐ、か…。まあ、すぐっちゃ、すぐに会えるかもな。時計、また使えるときは元の色に戻るから、そしたら会いにきてよ!」
「…え?元の色って?」
僕が聞き返したとき、夏乃が振り返って言った。
「パパー!!おさかなさん、いるよ!!はやくとってー!!」
それでも動かないパパを見て、夏乃は少し、不安になったみたいだった。
「ねえ、パパ…?」
夏乃が、パパの方に行きかけた。
一郎は、「早く!」というように、目で合図した。
僕は思い切って、石のボタンを押した。
バシャン!!
目の前に、水しぶきが上がり、僕は咄嗟に目をつぶった。パパが振り上げた網が、水中に入ったからだった。
「あれっ?!あーあ!逃したあ…!」
パパが大きな声で叫んだ。
まるで、一時停止していた動画を元に戻したみたいだった。
風が頬に当たる感覚や、川の流れが足を押す感触、せせらぎの音、鳥のさえずりも、瞬きの間くらいに全てが元に戻っていた。
僕はまわりを見回した。時間が止まる前と何もかも変わらなかった。一人ぐらいは驚いている人がいるかも、と思ったが、そんなことはなかった。
「一郎…?」
僕はあちこち探してみたが、一郎はどこにもいなかった。
「あ…石…」
握りしめていた石をみると、そこらじゅうに落ちているものと同じような、灰色に変わっていた。試しにボタンを押してみたが、何も変わらなかった。
「あっ!そーだ!さっきの、いちろーくん?どこ?」
夏乃が言った。
「いちろうくん?なんだ、誰かと仲良くなったのか?」
パパが言った。
「ね!!おさかなさがすの、じょうずだったよね」
「うん…そうだな。…上手だったな」
「どこ、いっちゃったんだろね?」
夏乃は周りを見回した。
「おっ、夏乃、蝶々だ!ほら、捕まえてみな!」
パパが言った。
「わあ!ちょうちょさん、つかまえる!」
パパと夏乃は、黄色いモンキチョウを追いかけて、川下の方へ行ってしまった。
僕はひとり、滝の方を眺めた。一郎の姿は見えなかったが、なんだかいるような気がした。
僕は、大きく手を振った。
ふわり、と風が流れた。
今度は無くさないようにと、僕は石をしっかりと握りしめた。
(おわり)