【#18】連載小説 『 美容室「ヨアケ」、開店します。』 (第4章 「おそいけど、おそくない。」5話)
「………!!!」
坂本は、あーちゃんの横に立っていた女性達の姿に、驚きのあまり声もでなかった。
二人は、坂本の母親と叔母だった。
けれどよく見てみると何かおかしかった。年齢は今よりだいぶ若く、坂本が小学生くらいのときの年代に見える。
しかも二人の身体は、うっすらと透けていた。
母親は当時の髪型で長い髪を後ろで束ね、エプロンを着けていた。
叔母はテロテロとした生地の、坂本が密かに観光バスのシートの柄みたい、と思っていた派手なシャツを着ていた。
ちなみに二人とも生きていて、この瞬間にもピンピンしているはずだった。
坂本は、母親がキッチンに立っている時、暇を持て余した叔母が張り付き、悪口や、どうでもいいような噂話を長々しゃべっていたのを思い出した。
『亜里沙、あんたこんな本好きなの?』
『あんたの友達、品が無いわよね~』
『亜里沙、お兄ちゃんに先に選ばせなきゃダメでしょ?長男なんだから』
『亜里沙は、顔は良いのよね~』
叔母が、うずくまるあーちゃんに向けてしゃべり続けていて、母親は困ったような顔をしてそれを見ていた。
そしてこのころにはもう、坂本には分っていた。
(あーちゃんは………あーちゃんは、小さい頃の私だ)
前髪が長く、目がほとんど隠れていたこともあって気付かなかった。
坂本は、一時期あーちゃんと呼ばれていたことを思い出した。
大体、幼い頃の自分が目の前に現れるなんて思うわけないが、自分の顔って案外わからないものなんだなぁ、と、このあり得ない状況の中、坂本は冷静に思った。
そして、この前倉庫であーちゃんが
「あのとき、守ってほしかったんだよね」
と言っていた意味が、ようやく分かった。
「守って欲しかった」と、坂本に対して抗議していた訳ではなかった。
「守って欲しかったんだよね?」と、大きくなった坂本に同意を求めていたんだ、と気が付いた。
叔母に気を遣うあまり、娘の亜里沙にまで一緒に気を遣わせていた、皆に優しい母親。
坂本は母親が他人の悪口を言っているのを聞いたことがなかった。
『あらそこにいたの?気付かなかったわ。大勢の中で、あんたってほんと見つけられないわよね~』
『あんた、顔は良いからきっと得するわよ!ラッキーねぇ。色んなこと出来なくても男の人がやってくれるからさ』
うずくまって耳をふさいでいるあーちゃん…八歳の亜里沙にむかって、叔母はなおも悪気無く言い続けていた。
坂本は下を向き、目を閉じて大きく息をついた。
そして、言った。
「…うるさい」
『は?』
「ねえ…叔母さん、うるさいよ」
『は?うるさいってなによ』
「うるさい、って意味、わかんないの?」
『口答えなんかしちゃって。そんな子じゃなかったじゃない。私があんたぐらい小さかったときは、大人に口答えなんてしなかったわよ。それに…』
「私は叔母さんじゃない」
『まあ!そんなこと言って失礼ね。あんたの将来が心配だわ!』
「私の将来ならご心配なく。美容師になりました。これでも人気あるの」
『あなたのためを思ってるのよ!お母さんが甘やかすから、ほらご覧なさい。私がしっかり躾けてあげなくちゃ…』
「うるさい、うるさい………」
坂本は顔を上げ、叔母の目を見据えて、
「…うるさいってばっ!!!!」
と叫んだ。
坂本が大きな声を出したので、叔母さんは黙ってしまった。
そこで初めて、母親がおずおずと口を開いた。
『ねえ、亜里沙…おばさんにもう少し、丁寧にできない?』
「…ごめん、できない」
坂本はきっぱりと答えた。
『でも…叔母さん一度怒らせちゃうと長くて面倒なのよ…。家の中ぎくしゃくするし…』
「お母さんは優しいよ。けど…だけどね…」
坂本の目から涙がこぼれた。
「亜里沙にそんなこと言わないでって、一度くらいは叔母さんに言って欲しかった。怒って欲しかった。…守って欲しかった」
『…ごめん。ごめんね……亜里沙』
「私が留守のとき、叔母さんの攻撃がお母さんにいくのが怖くて、私はいろいろ言ってやりたかったけど、何も言えなかった」
『あら攻撃って何?言ってやりたいって、何を?私が何したっていうの?!あんなに優しくしてあげたのに、なんて恩知らずな…』
叔母さんが叫んだ。
「叔母さんには一生、分かんないと思う。とにかくうるさいから黙って。この子に関わらないで」
坂本はスタイリングチェアの上で、耳を塞いでうずくまっているあーちゃんに目をやった。
実家では台所のすぐ横が坂本の部屋だったので、引き戸を閉めていても叔母の声がはっきり聞こえてくる。
部屋の勉強机の椅子に丸まっていた自分の姿を思い出した。
坂本はあーちゃんの前に立ち、守るように両手をゆっくり広げた。
そして叔母さんの幻をしっかりと見据えながら、静かに
「この子に関わらないで」
と言った。
『でも、私は亜里沙のためを思って…』
叔母さんがなおも言うのを遮るように、坂本は叫んだ。
「この子に関わらないでっ!!!」
その時、坂本には見えなかったが、あーちゃんは顔を上げ、坂本の背中をじっと見つめていた。
しばらくの間、皆はそこから動かなかった。
しかしやがて幻の二人がゆっくりと揺らぎだした。そして叔母さんと母親は突然、ふっと消えた。
坂本は、その場にぺたりと座り込んだ。とても長い時間、対峙していたように感じたが、さっきの涙はまだ頬に残っていた。
心臓は、周り中に響いているのかもと思うほど、早く大きく鳴っていたが、目を閉じてゆっくり呼吸していると少し落ち着いてきた。
外からは微かに、商店街のスピーカーから流れているクリスマスソングがきこえていた。
ニャー
「!?」
とつぜん猫の鳴き声がし、振り向くといつの間にかシルバーグレーの美しい猫が立っていた。
猫は冷たいコンクリートの床についていた坂本の手の甲に、前足をそっと重ねた。その途端、止まっていた時間が動き出したような感覚がし、身体の中にゆっくりと体温が戻って来るのを感じた。
坂本は椅子を見てみたが、あーちゃんの姿はそこには無かった。
「あ…あれ…どこに…」
振り返ると、猫もいなくなっていた。
***
地下倉庫からパーティーに戻ってみると、まだビンゴ大会で盛り上がっていた。
「あっ、店長。どこ行ってたんすか?俺、一緒に数字あけときましたよ。で、今、店長トリプルリーチっす」
新城が言った。
「…あーちゃんは?」
「オーナーもあーちゃんも、結局見かけないっすよ。やっぱりもう帰ったんじゃないすか?」
新城が答えると、隣りで聞いていた吉祥寺が言った。
「僕そーいえばさっき、チョコケーキのドレス、返してもらいました!いつの間にがそこに置いてあって…そんとき帰ったかもです、見てないですけど」
坂本が返事をしようと口を開きかけたとき、
「あっ!!!ビンゴォーーーッ!!!やたっ!ワイヤレスイヤホーーン、ゲーット!!」
吉祥寺が叫びながら、椅子から飛び上がった。
「えーーーっ!狙ってたのにぃ~!くやしーーー!」
荒井があまりにも残念がるので、皆は笑った。
(さっきのは…ほんと、なんだったんだろう。あーちゃんが小さい頃の私だっていうなら、あの子も幻だったの?…でも、皆も何度も会ってるしなぁ)
坂本にはよく分からなかったが、怖い、という感じは残っていなかった。むしろ、身体も心も軽く、何か持っていた重い荷物を下ろしたかのような、すがすがしい気分だった。
結局、坂本はお洒落な入浴剤とルームフレグランスのセットをビンゴでもらった。
そして小さい美久もいることだし…と、夕方六時にはパーティーはお開きになった。オーナーとあーちゃんは、結局最後まで現れなかった。
(オーナー、あーちゃんのこと知ってた?!でもそんなことってある?私の夢?妄想?今度聞いてみるかな…)
坂本は思ったが、前からオーナーには謎めいたところがあったし、何か聞いても結局、はぐらかされるだけだろうなと思った。
***
クリスマスパーティーの数日後。
坂本の一人暮らしのマンションのポストに、宅配便の不在票が入っていた。母親からだった。時々、日用品や野菜などを送ってくる。
「まーた、こっちの都合も聞かないで送ってきて。受け取れないじゃん」
そう言いながら不在票を見たとき、「食料品、雑貨、衣類」と書かれていて、
(衣類?なんだろー、めずらしい。でもダサい服もらってもなぁ)
と坂本は思った。
再配達を手配し、夕方届いた箱を開けてみて坂本は驚いた。
お米やお菓子、野菜と一緒に紙袋が入っていて、開けてみるとあのパーティーの日にあーちゃんが着てきた、坂本のタータンチェックのワンピースだった。
「えっ?!なんで?!」
中には、母親からの手紙も入っていた。
亜里沙へ
小さい頃あなたが大事にしていたワンピース、押し入れを整理していたら出てきたので送ります。
叔母さんがゴミ箱に捨てたのを、こっそり拾っておいたんです。
あの時は勇気がなくて、亜里沙に渡せなくてごめんね。
今更になっちゃったね。いつも一緒に色々と我慢させてたこと、後悔しています。
あのときは波風立てないことがあなたや家族のためだと思っていたけれど、今思えばそれは間違いでした。
お正月には帰ってくるの?忙しいのは分かるけど、たまには顔を出してね。
叔母さんは今度ばかりは本当に出て行きました。お姉さんと二人で暮らすそうです。
自分の家で深呼吸できるのは、嬉しい事です。
だいぶ寒くなってきたけど、お布団は羽毛?もし持ってなかったらうちにあるのを持って行きなさい。
《お母さんより》
虐待というほどではない。気にしなければいいじゃない、と言われればそれまでの、些細なことばかりだ。
でも、小さな針でも少しずつ撫でていれば、少しずつ削れてくる。やがて、大きくて深い傷になり、傷跡だって残る。
坂本は幼い頃の出来事を、時折、昨日のことのように思い出して悔しくなってしまうことがあったのだが、あの倉庫での出来事以来、ほとんど考えることが無くなっていた。
自分の中に残っていたものを取り出して地面に置き、それを少し離れたところから眺めているような感覚だった。
坂本は手紙を畳もうとして、裏に追伸があるのに気が付いた。
「もーお母さんったら、裏じゃ気付かないよ」
そう言いながら読んでみた。
《 追伸》
ワンピースの袋に入っていたキーホルダー、見覚え無かったけど一緒に入れておきました。
「え、キーホルダー?」
もう一度袋をとって中を探ってみると、何かやわらかいものに手が触れた。
「あ…!!」
それはフェルトでできた、手作りのサンタクロースのオーナメントだった。
荒井の手作りで、あーちゃんがパーティーの間ずっと大事に持っていたものだった。
サンタは、ビーズでできた小さい目で坂本を優しく見つめていた。
それから小さなワンピースを広げてみる。海外製だからなのか、今見てもなかなか洒落たデザインだった。
「お母さん…遅いよ。こんな小さいワンピース、私もう着れないよ」
ワンピースを触ってみる。継ぎ当てした部分が、丁寧に細かく縫ってあるのが分かった。
「でも…」
坂本は思った。
(おそいけど、おそくない…かな)
坂本はワンピースを丁寧に畳んで紙袋に戻し、クローゼットの奥にしまった。
そして他の送られてきたものを片付けると、サンタのオーナメントを、テレビの横の飾り棚にそっと置いた。
それから、今夜はのんびり湯船につかろうと、テーブルにこの間ビンゴでもらったお洒落な入浴剤の袋を並べた。
「今日はどれにしよっかなー。この香りがいいかも」
大人になる、ということは自分でいろいろ選択できるということで、それはなかなか大変だけど、やっぱり悪くないかも…などど考えながら、坂本は軽い足取りでお風呂のお湯を入れにいった。
「ああ、来たね。ご苦労さん」
倉庫の奥から、ひそひそと話す声が聞こえる。
末継の声だった。
薄暗い倉庫の中に、天窓からの光が真っすぐ射し込んでいた。そしてその光の先に浮かび上がっていたのは、とても小さな影だった。
(第4章 おわり・第5章につづく)
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