冬の日のビー君

トントンとドアをノックする音が聞こえると、私は急いで玄関に向かう。ドアを開けると、冷たい空気に、体中が引き締まる。お父さんの後ろに隠れているビー君が、パッと私の目の前に飛び出す。元気に幼稚園に行く姿勢でいっぱいだ。
秋にはあんなに大泣きをしていたのに、いつの間にか、まるで自分のスペースに入るように、スーッと我が家に吸い込まれるように入ってくる。彼のお父さんが、「キスを忘れてるよ。」と、あわてて声をかける。彼はうれしそうにお父さんに駆け寄り、頬をあずける。
ビー君を幼稚園に連れて行く朝の始まりだ。

椅子の上にあるクッションを落とさないように気を使いながら、ビー君は小さな体で、よいしょと椅子にのり上がる。小さな子供というのは、椅子に座ること一つにも、一生懸命さを感じさせる。
「カップはピンクにする?それとも黄色?」
「ピンク!」
「このシリアル食べる?それともこのブレックファストビスケット?」
「ビスケット!」
私はこんな、どちらにしても問題のない小さなチョイスというのを、たくさん与えるのが好きだ。ビー君はうれしそうに、好きな方を力強く私に告げる。
とびきりいい物は、手にした時にうれしいのは当たり前だけれど、小さな何気ない物も、自分で選択していくと、うれしくなってくるものだ。

「お外で遊んでいい?」
ビー君の手はすでに、裏口のドアの取っ手をつかんでいる。外の気温はかなり低い。
「今日のお外は寒いよ。屋根裏部屋で遊べるけど、どうかな?」
「屋根裏部屋に行く!」
元気いっぱい、階段を上がりに上がる。彼はライトのスイッチをパチパチ押して、天井から壁まで真っ白な屋根裏部屋に、明かりをつける。真っ暗だった部屋が急に明るくなると、彼の表情も、パッとうれしさであふれる。屋根裏部屋は天井が低いけれど、3才のビー君の背では、部屋の端でも、充分に立つことが出来る。走り回っても、頭を打つ心配もない。

私は部屋の端にしゃがんで、エクササイズ用の大きなボールを、反対側の端にいるビー君に向かって転がす。ボールを転がして返すにも、じっとそこに立って待つなんてことを、彼はしない。ボールに向かって、「やー!」と叫んで、まるでラグビーの選手のように突進する。
突進してボールにぶつかると、ボールは私の方へ戻ってくるけれど、ボールにぶち当たったビー君は、結構激しく床に倒れこむ。床は、私のお気に入りのベージュのカーペットが敷き詰めてあるけれど、床に倒れこむ彼の体にあざができそうで、私はちょっと心配になる。けれども、ビー君はまるで、国の誇りを背負って試合に出場するラグビー選手のように、倒れてはまたすぐ、元のポジションにしっかり戻り、ボールが来るのを、狙いを定めて待つのだ。
こんな風に屋根裏部屋を使うと、白い壁が多少汚れたり、はがれたりすることも考えられる。私はそこで選択する。この部屋を、喜んで思い切り使うか、もしくは、傷一つなく保つかだ。簡単な選択だ。私はビー君めがけて、何度もボールを転がし続けた。

ビー君はかくれんぼも大好きだ。マットレスと毛布しか置いていない屋根裏部屋には、気の利いた隠れられる場所はない。
「マサコ、隠れて!1.2.3...」
彼が10まで数える間に、私は毛布を自分にかけ、部屋の隅にうずくまる。
「いくよー!」
ビー君は小さな屋根裏部屋の中を、タタターっと走り回る。足音がぴたっと止まる。「見つけたー!」と叫んで、彼が毛布をはぎ取る。大はしゃぎだ。私がうずくまる場所が、部屋のこっちからあっちに数メートル動くだけのかくれんぼが続く。走り回っては探しているふりをして、そして毛布をはぐ。
ビー君はこの、探す必要のないかくれんぼが大好きだ。飽きる様子もなく、大興奮状態で遊ぶ。
大人もこんなことで興奮出来たら、さぞ楽しい毎日だろう。小さい子供は、大人がとうの昔に失った特別な能力を、たっぷり持っているのだ。

幼稚園に行くまでの道は、私の足では20分以内でも、ビー君と一緒だと、たっぷり30分はかかる。うっかりすると、一時間近くかかることもある。
所々でビー君はスクーターに乗って、片足でバンバン地面をけりながら進む。寒くて私の手は痛いくらいにかじかむけれど、彼はそんな私に容赦なく、ちょっとした木々の間に入り込んでみたり、気になる木の枝、木の実、葉っぱを、どんどん拾っては私に持たせる。
童話や昔話にはよく、森の中で子供が夢中になって何かを拾い集めていて、気がついたら、とっぷり日が暮れてしまっていたという話の部分があるけれど、ビー君を見ていると、そんなストーリーを現実に見ているようだ。
「ほら、早く歩こう。先生たちが待っているよ。」
何度も言ってせかすのは嫌だけれど、そうしないと彼は幼稚園にたどり着かない。

大きな水たまりの前で、ビー君がピタッと止まった。いつも次の瞬間に、足を水たまりに入れて、ピチャピチャとその中を歩く。「マサコ、水たまりを怖がっちゃだめだよ。」なんて、私に言うのだ。
どうしたんだろう。水たまりの前で、動かない。じーっと水たまりを見つめている。
「空が見える。」
ビー君がつぶやいた。水たまりの前で立ち止まる彼の横に、同じように立って下を向くと、白い雲が動く様子が、水に映っていた。
水たまりに空を見るなんて素敵だ。ビー君と一緒に歩いていると、時々、私はなんだか、詩の中を歩いているような気持ちになる。
「ほら、朝日が昇っていくよ。きれいだね。」と、今度は私が東の方向を指す。公園の木々の間から見える、大きな太陽と、その周りの暖かい色で染まった空を眺める。家の窓から見るのとは違う、もっと広い景色だ。寒くて手はかじかむし、ビー君が私を困らせることもあるけれど、こんなきれいな朝の空を見られることが、ビー君だけでなくて、私にも、幼稚園までの道のりを楽しいものにしてくれる。

「ほら、あそこを見てごらん。」
私は上空を指して、白い飛行機雲がしっかりと水色の空に伸びていくのを見せる。かなりの上空なので、飛行機そのものは、はっきりとは見えない。
「そりだ!」
ビー君がうれしそうに叫ぶ。
「え?そり?」
「そうだよ。サンタが乗ってるそりだ。サンタが家に帰るんだ。」
私は、「あれは飛行機雲だよ。」と言おうとして、やめておいた。ステキなお話は、本の中にあって、本棚にしまわれているだけのものじゃない。神秘的なもの、キラキラするもの、ワクワクするもの、うっとりする程の美しいもの。私たちの毎日は、そんなお話が生まれる場所であり、そんなお話そのものだ。
3才のビー君には、この朝は、サンタがそりに乗って家へ帰る空の下、歩いて幼稚園に行ったという事だ。そんなお話の中を、私も一緒に歩けたことが、うれしかった。

幼稚園までの道のりは、目にするもの、手にするもので楽しめるけれど、おしゃべりするにも充分な時間だ。
「マサコは何才なの?」
突然ビー君が私に聞く。大人が子供に年齢を聞く時と同じ口調だ。私はすぐには本当を答えず、代わりに、「何才だと思う?」と聞き返してみた。人に年齢を当ててもらうのは、結構楽しいのだ。彼は私の顔を見ながら、数秒、真面目そうに考えていた。それから小さな声で、「10?」と言った。私は笑い出しそうになるのを必死に抑えた。
「私、10才かな?」
「うん。」
ビー君は3才だ。数えられる数字で一番大きいのが、10なのだ。なんともかわいい。
「あのね、私、10才じゃないんだ。私はね、47才なんだよ。言えるかな?47!」
「47!」
ビー君が元気に47と叫ぶと、なんだか急に、47才が、はち切れるほど元気いっぱいで、将来がたっぷりあって、ワクワクするものに聞こえた。
「私は47才。ビー君は3才だねー!」
調子に乗って、私は年齢を繰り返す。小さなビー君に、数字を教えてあげている気にもなる。数学が苦手だった私でも、これくらいはできるのだ。
「マサコは僕の歳の時、犬を怖がってた?」
「うん、怖かったわ。」
それからビー君は、ゆっくりと、そしてはっきりと、誇るように言った。
「僕がマサコの歳の時には、僕は犬が怖くなかったよ。」
「そうか。すごいね。」
私は笑いを必死に抑える。ビー君との会話は、時にとても愉快だ。

我が子たちは、私の下手な英語を聞かされるビー君がかわいそうだと言う。実は私も、申し訳なく思っている。でも彼は、「マサコの言う事はわからない。」なんて、一言も言わない。代わりに、幼稚園までの道のりに、「マサコ、お話聞かせて。」と言う。かわいいではないか。ただし、彼のリクエストは、ちょっと独特だ。
「マサコが子供の時に、二段ベッドから落ちてケガをして、病院に行った話を聞かせて!」
私はそんなアクシデントの経験はない。子供の時、二段ベッドも持ってはいない。
「私、ベッドから落ちてないよ。」
「だめだよ!落ちたんだよ!マサコが落ちてケガして病院に行った話を聞かせて!」
こうなったら、そうだったとして話をするしかない。私は想像力を駆使して装飾をいっぱい付け、私が子供の時、二段ベッドからうっかり落ち、ケガをし、あわてて病院に連れて行かれ、手当てを受けたけれども、とても痛い思いをしたという話をしてあげた。注射をされたり、ちょっと血が流れたりも入れておいた。
ビー君は真剣に聞いている。
もしかしたら、彼の家では、私がベッドから落ちた事になっているのかもしれない。うっかり子供の話を否定するのは、危険だ。ただし、怖がらせるのもかわいそうなので、大きくなってからは一度も落ちていないと、念を押しておいた。
「マサコ!マサコが子供の時に歩いていて、茂みに近寄ろうとしたら、そこから悪い女の子が突然出てきた話を聞かせて!」
こんな風に、私のするお話のあらすじは、もうすでにビー君が決めている。私は創作クラスの課題をするように、どんどん話を膨らませる。彼は歩きながら私の話を聞き、目を大きくしたり、質問したり、そして最後は静かに、納得した様子を見せるのだ。

幼稚園の前に着くと、ビー君は他の子供たちと、楽しそうに駆け回り始めた。
「僕が一番に中に入っていい?」
次々と会うクラスメートに言っている。みんな、「いいよ。」と返事をする。なんとも優しい。
幼稚園の始まる時間になり、先生がドアを開けると、ビー君は私にキスをされるために、自分の頬を素早くあずける。そしてタタターっと、一番になるべく、教室に駆け込んだ。

冬の日のビー君は、喜びいっぱいだ。幼稚園に通い始めた秋には、あんなに毎日泣いていたのに、ほんの数ヶ月でこれほどの変化なのだ。春には、どんなビー君になっているだろう。
季節が流れる中での自然の変化は、大きくて美しい。子供の成長による変化も、目を見張るほどだ。そしてその同じ時間の流れを、大人の私たちも、みんな、持っている。
秋の日には想像もしていなかった冬の日を、今、こうして楽しんでいる。今はまだ見えない春の日を、心から楽しみにしたい。

『空の下 信じることは 生きること 2年目の秋冬』より

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