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年始の抱負は何故叶わないのか?を考えてみた話

あけましておめでとうございます。2024年の元旦です。
何となくフォローしている方の年末の書き込みがメール通知で届いていたので読んでみたら、人の思考ってけっこう面白いなと感じて、自分も何か書いてみるかという思いになったので書いてみます。

今年はnoteの書き込み頑張るぞと、元旦に抱負を掲げたとしても、1か月もすれば忘れてしまう。
もう、心当たりがありすぎてありすぎて、というやつですね。なんでいつも年始の抱負は忘れてしまうんだろうと考えてみたのです。

そもそも年始の抱負というものは、それまでやってきた行動を変えようというものが多いので、そもそも結構大変な話ですよね。
急に毎朝ウォーキングするぞと思っても、まあ続かない。
これ、やった方が良いよねくらいの思いなので、行動変えるレベルにはなかなか達しないですよね。

いつもやってることを今年もやろうという抱負であれば良さそうですが。それって抱負なの?という疑問が残ってしまう。

正統派のアプローチ

例えば私がnoteの書き込みを続けるぞと意気込んでも、書き込まない毎日に別に不自由を感じてないので、なかなか続かないです。
ということは、書き込まない毎日がもう嫌で嫌でどうしようもなくなったら書き込まざるを得なくなるとは思います。

これには逆転の発想が必要で、現在の生活が嫌で嫌でどうしようもなくすように仕向けるのはそれはそれで寂しいので、むしろ望んでいる状態をめちゃくちゃ欲している感じにすることで、逆に今の生活に疑問を持ってこのままで良いんだろうかとおもう方法ですね。

生活って相対的な物なので、最新iPhoneを手に入れた時、めちゃくちゃ嬉しかったのに、2~3年もして誰かがもっと新しいiPhoneを持っていた時にうらやましくなったりします。

何が言いたいかと言うと相対的ということで、もっとすごいものを知ってしまうと、それが無い今を残念に思ってしまう。

なので、noteの書き込みを続けるぞという抱負をかなえるには、noteの書き込みを続けて、自分の理想の状態になっている人に出会うこと。

それぐらい、こうなりたいー!って思わないと行動は変わらないですよね。

別のアプローチを提案

もう一つは行動を変えないレベルですごくゆるーくやっていく。

毎日noteの書き込み続けるぞというと3日くらいで挫折するので、1か月に一回くらいの投稿で行く。一か月に一回だと大変な月もあるから、年12回の発信をするという目標。これなら達成できそう。

12回やった後に楽しかったら続けるし、微妙だったら止めるという感じで。これなら行動変えるほど大きな話ではないので、なんとなくやったらいいかもくらいの事でもできそうです。

毎朝ウォーキングするぞという抱負の場合は、年間のうち12回、お休みの日に何かしらの運動をするという目標であったら何とかなりそうですね。

1年で12回やる作戦で考えるという感じで、12回達成した際に一旦立ち止まって続けるかどうか考えてみましょうという話でした。

なんにせよ、何も目標が無いより、あった方が良いのは良いので、いったんゆるーくでもいいので考えるきっかけになったら幸いです。


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