見出し画像

何も無い私が可能性をつかむには

自分の思いが乗るような
具体的な目標とかミッションに
向かっている人ってかっこいいし

そういう目標があれば
何をすれば良いのか誰を頼れば良いのか考えて
そこに向けて最短距離で
一歩ずつ進んでくことが出来そう

ただ、
今の私には所属も
目指しているものも
目標もない

ワーホリには行くけど
そこで成したいことは生きていくことだけで
何をやるかも決まってないし、

この先の人生においても
なにか目指してるものがあるわけでもないし、

なにかを見越して
今努力してるものもない

今までの自分だったら
こんな状態不安で
耐えられなかったかもだけど

今のわたしは
何かを目指さないからこそ
生まれる偶然の可能性を信じてみたいとも思う

自分すら思ってもみなかった道を歩んでみたいし
自分が面白いって思える人生にしたい

誰かの何かに応えるためとか
誰かに何かを言われるからとか
そういうのじゃなくて

ただ自分の人生を自由に生きたい

人と繋がりながら
周りを幸せにしながら
生きていきたい


状態への願いだけあって
目標もやりたいことも定まってない自分が
面白い人生を作るチャンスをつかむには

今日という日をどうやって
生きていけばいいんだろう

MOROHAの『革命』にも
この歌詞があるけど

今年こそ?来年こそ?
何年生きれるつもりで生きてきたんだ
今日が終わる いや今が終わる
そう思えた奴から明日が変わる

成し遂げたいものは決まってないものの
「自分の人生を生きる」に向かうために
今という時間を使うことは出来る

何も無い私が
思いもよらないような可能性をつかむには?

『The Third Door』って本を読みながら
感じたこと、書いてみようと思う

私は私にイエスと言う

『夜と霧』で有名なフランクルの別の著書に
『それでも人生にイエスと言う』があるけど

それと似た感じで
私は私にイエスと言い続けたい

うまくいかないことも辛いこともあるけど
そんな自分にイエスと言う
全てを受け入れてそれで良いとする

どうしようもない自分も
不安で仕方ない自分も
それを自分が受け入れられないのが
一番しんどい

とあるご縁で直近会った方も
「子育てでたくさんしんどい思いをしたけど、
子どもにイライラする自分を
自分自身が許したタイミングが
一番の転機だった」
って言ってた

綺麗な展開を手放して
感謝して
想定外を楽しむ

どんな自分にもイエスと言って
常にワクワクして上機嫌でいる

目の前のことを
自分なりに一生懸命がんばる

これは根幹にありそう

なんか気になるを離さない

生きてると自然に
自分から(なんなら自分って存在だけじゃなくて
いろんな流れやらいろんな応援やらから)
ヒントを受け取ってるんじゃないかな
って思うから

なんか気が向くってところには正直にいたい

最近だとワーホリもそうだし、
このカフェで働いてみたいとか
なんか目に入ったこの本読みたいとか
この映画見たいとか

この人と時間を過ごしたいとか
遺書書いてみたいとか
絵を描きたいとか
渾身の写真を形に残したいとか

(勉強するもんじゃないかもだけど)
ユーモア勉強したいとか
自然に触れたいとか
良い空間に惹かれるとか

前向きな気になるじゃない
違和感みたいなものも含めて

なんとなくいろいろある
その「なんか気になる」をちゃんと拾いたい

目標への最短距離を目指さないからこそ
できる動きな気もするし

なんか気になるって純粋な気持ちと動きが
最終的にいろんな伏線として回収されていったら
なんかおもしろそう

0.1秒の勇気を出す

これは前にも書いたやつ

可能性を掴むにはやっぱり
挑戦すること・動くことは必須だと思う

いざってときに動けるように、
躊躇して後悔する自分にならないために、

いつだってフットは軽い自分でいたい
勇気を出して0.1秒で決めて
前に進んでいける自分でいたい


こう生きられるときもあれば
こんなん無理なときもあるけど

こう生きていきたいと今は思ってる
っていう記録だけして

またなんかあったら戻ってきたいな

いいなと思ったら応援しよう!