見出し画像

大人になると

大人になると、妄想力や想像力が乏しくなる。
他の人は知らないが、私はそうだ。

歳を取ればとるほど、日常に(予測)が付きまとう。
そして日々を過ごす上で5割はその予測通りの日常になる。

それは脳の成長とも言えるけれど、言い換えれば退屈な日常とも言える。

この退屈な日常から脱却するには、他人の思考を自分に組み込むことがひとつの手段だと思っている。
この場合本がとても有効だと思った。
しかし、思い返せば 幼少期は一日数冊を読み毎週図書館に通うほど本は読んでいた。
多様な感性を持つ主人公達に自分を置き換えては
その登場人物達が抱く感情の要因に想像を膨らませていた。

その結果と言えば大袈裟かもしれないが中学生頃からかなり達観した子供だったと思う。 10代の頃だって40過ぎの知り合ったおじさん達に(不純なやつじゃないよ)10代後半の精神年齢じゃないね。ネットで話してる感じ30代ぐらいかと思っていた。
とも言われたことがある。

自分語りが長くなってしまったけれど、幼い時から他人の思考を汲み取りすぎると周りとの精神年齢が合わなくなり、年下や同い年と付き合うのが難しくなる。それと同時に主題でもある(妄想力の欠如)にも繋がる。
なぜか。

それは人の数だけ思考があると言うことを知って、納得してしまっているからだ。
そうなると極端な思考も出来なくなる。嫌悪感すら抱く。
強いひとは(私はわたし)と一線を踏まえ客観的に時には主観的に本を読むことができるだろうが、主観的にしか読めない私は現実でもその人に成りきってしまい次第には人間関係や持ち物からその人の生活スタイルまでもを予測してしまうため非常に疲れるだけでなく、人の思想に否定や反感が一切抱けなくなる。

妄想は現実逃避だ。現実逃避は良いとか悪いとかそういうものじゃない。(現代は悪いふうに捉えられがち)

現実逃避する必要が無くなるのだ。だって人の気持ちが分かるから。分かった気になるから。
嫌な事、嫌な気持ちにならなければ相対的に良い事 良い気持ちにもならない。なっていたとしても気づきにくい。

私は思い込みの強い人間だし、だいたい予測したことは当たる。予測がある程度できるようになると脳みそが次の刺激を求めて凄く暴れる。私の体はそれにいつも、ついていけない。
このジレンマが苦しい。

とりあえず25までに世界一周がしたい。

大して纏まってもいないが、まとめる必要もないだろう。

ここまで読んでくれた物好きの諸君 ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?