壊れた巨船からおりて、幸せな小舟を創ろう。
私たちはどこに向かっているんだろう。
朝起きて、子どもを起こし朝ごはんとお弁当をつくり、家事を済ませながら、今日の仕事の作業を考え、関わっているボランティアの雑務のあれこれに頭を巡らす。
スマホのニュースやSNSを眺めつつテレビのニュースに耳を傾け、昨日とさほどには変わらない、いつものうんざりするニュースに諦觀のため息を付いている。
20年前から森の保山や自然エネルギー、子どもの自然遊びに団地の居場所、地域で楽しく持続可能な暮らしができたらいいなと始めたボランティア。
楽しい仲間たちは、暮らし方や仕事を変えたり地域に移住したりと、今の社会のシステムからさっさと離脱して自分たちの生き方、暮らし方をつくりはじめている。
一方で、毎日毎日生活のためお金のために、ブラックでもパワハラ受けても仕事を続けなければいけない人、寝る間も惜しんで働き、必死に子どもを育てているシングルマザー、わずかな年金で日々の食べ物にも窮する高齢者の方達。みんな自分の置かれた状況は「自己責任」という一点で、誰にも助けを求められずに苦しんでいる。
どうしてこんな社会になったの?
働いても働いても、何に向かって生きているのかさっぱりわからない。
必死で生きるのに精一杯の人のなんと多いことか。
そして疲れて帰ってきたら、嘘つきパワハラな政治家の失言暴言に、怒りを感じる力もあるわけなく、見たくも聞きたくもない状況はスルーされていく。
私はちはどこに向かっているんだろうか。
戦後70年かかって作り上げてきたこの社会。変えていくにもまた同じ時間がかかるかもしれない。
しかし、人口動静など年月をかけざるを得ないことは難しくとも、再生エネルギーへの転換や高福祉社会への基盤整備、子どもたちの教育など、環境、福祉、教育といった分野にマンパワーと資金を投入し、今の情報化社会と積み上げられた知見で、もっと早くに思う世界を作れることもできるはず。
ようは、私たちは「どこに向かっていけばいいのか、自分のことから始めて私たち自身で、将来のあるべき社会のデザインを描くことが求められている。
「将来こうあってほしいと思う社会のデザイン」
って一体どうしたら描けるん?
誰もが、そんな壮大なこと考える時間もゆとりも、ましてや興味すらないというのが現状だとは思う。
しかし、今だからこそ、喫緊ここをみんなで創っていくことが、政治への無関心や地域行政の課題解決、目先の自分の暮らしの問題など、多分様々な社会課題を解決していく端緒になるんじゃないかと思っている。
若い世代ほど、環境問題や福祉のあり方に敏感な人が増えてきている。もちろん、全く関心なく決められたことに違和感すら覚えない人も多いけれど。
少なくとも、バブル世代以上の世代とは全く違う感性で生きている。
私を含め、高度成長期やバブル世代の壮年以上の世代には、かつての成功体験や潤沢に経済が回っていた記憶の呪縛から離れることができないようだ。
その時期を知らない若い世代は、日本の今をゼロベース(そうはいっても恵まれているが、ジャパン・アズ・ナンバーワンの呪縛は知らない)で考えることができる感性があると感じている。反面、どうしても豊かには慣れないという諦め感や大卒が全てのような狭い価値観の中で生き方を模索せざるを得ない苦しさも持っている。
その相反する若い世代にとって、今の社会の問題がどこからきていて、そこを解決するアイデアがどれだけ豊富にあるのか、ということに気付きさえすれば、きっと自らの手で社会に関わって行こうとする人が増えていくのではないかと思う。
今の日本は、壊れた巨船。
それは経済だけではなく、社会の隅々まで浸透してしまった経済至上主義、戦前の教育勅語を標榜する政治家やその政治家に利権を貪る経済界の利益が優先されて、福祉も環境どころか、人権さえも脅かさされるという救い難い社会。
今コロナウィルスで豪華客船が問題になっているけれど、まさしく船底に穴が空いて沈みかけた船底の貧困層は明日にも生きるか死ぬかの生活を強いられて、船内には「経済さえ良ければいい何をしてもいい」ウィルスが蔓延し、上階の富裕層はウィルスで頭が腐っているのだろう、その場その場でとんでもない方向へ舵を回して、大海の中で沈みながら迷走している。
乗客もそれぞれ、こんな船に不安を感じつつも、大海の中では逃げようがない上、高い船賃(住宅ローンとか)を払ってしまったのだから、精一杯楽しまなくてはと、狭い船の中でレクリエーションに勤しむ。
一方でそんな船から、さっさと小舟をおろし軽々と船から降りる人、小さな島に辿り付き自ら村を作る人、自分で船を創って新たな陸地に漕ぎ出す人などがたくさん増えてきた。
壊れて沈みかけている船でも、大海の中ではそこにいなければ死んでしまう。降りて小さな小舟に身を委ねられるのは、ごく一部の体力のある若者か、向こう見ずなバカだけだ、普通はそう思う。
しかし、どうだろう、一度小舟に乗って、この船を外から見てみたら。
きっとどこをそうしたらいいか、色々なアイデアが出てくるだろうし、ただ、そのアイデアを「誰が」「どのように」運用すればいいのか、舵取りの方法も合わせてみえてくるはず。
トライしてみたい。
「将来こうあってほしいと思う社会のデザイン」を描く作業を始めたいと思う。