「初恋」
島崎藤村
明治三十年刊「若菜集」より
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
江戸時代末まで、果物といえば、「みかん」「柿」「梨」「桃」などで、
「りんご」に人気はありませんでした。
明治五年に西洋苹果(せいようりんご)が輸入されるまでは、
日本の「りんご」は、小さな「和林檎」(わりんご)でした。
島崎藤村は馬籠宿に明治五年に生まれました。
十四年に東京に遊学するまでの体験をもとに、
上記の「初恋」の詩を作ったといわれています。
時代的に当時の馬籠宿の「りんご」は在来種の和林檎であって、
輸入された「国光」「紅玉」などの西洋苹果ではありませんでした。
島崎藤村が見ていた「りんご」に対し「林檎」と書いているのは、
当て嵌まった使い方になります。
いま、歌や詩、物語も「りんご」は「林檎」と表記されています。
変換も「林檎」とされることが多い。
「苹果」は日本語から忘れられようとしているのです。
宮沢賢治は、明治二十九年生まれ。
いくつかの作品の中で「りんご」を登場させています。
代表作「銀河鉄道の夜」より。
「何だか苹果の匂がする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」
カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨の匂もする。」
ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入ってくるらしいのでした。
どの「りんご」を手に持つか。
それによって「林檎」「苹果」と変わる。
知る人も少ない「りんご」の表記の話ですが、
文学の世界からでは色と匂いの違いが感受される。
長野県南佐久郡川上村では、秩父山地に樹高十㍍にも及ぶ、
「和林檎」の天然木が点々と自生しています。
コブシ同様、純白な花を咲かせるそうな。
いつか、訪れてみたい。
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