あがり目 さがり目
🎹【あがり目 さがり目】
作詞:水谷まさる
作曲:中山晋平
あがり目 さがり目
ぐるつとまわつて猫の目
あがり目はおこり目
あがり目をしたら おこりたくなつた
さがり目は 笑ひ目
さがり目をしたら 笑ひたくなつた
猫の目は 猫の目
猫の目をしたら 鼠が見えた 鼠が見えた
あがり目 さがり目
ぐるつとまわつて猫の目
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「水谷まさる」1894〜1950
東京生まれ。本名、勝。1918年に早稲田大学英文科を卒業すると、コドモ社に入社、そこで「良友」の編集をつとめたのち、東京社の「少女画報」に移る。編集のかたわら自作も発表していたが、1924年から一年間ヨーロッパを周遊し、帰国後、本格的に作家業へ転じる。1928年には「童話文学」を創刊し、童話を文学的な境地にまで高めようとした。特に少女向けの童話・詩・翻訳を中心に著し、作品の傾向としては、心の美しさをテーマにしたものが多い。童話集には「マッチの兵隊」、「葉っぱの眼鏡」、童謡集には「歌時計」、「神さまのお手」、翻訳には「若草物語」、「ロビンフッド」、「世界童謡集(共訳)」などがある。一般には、この「あがり目さがり目」の作詞者として知られている。
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「中山晋平」1887〜1952
長野県下高井郡新野村(現在中野市大字新野)に生まれる。1905年に東京へ旅立つ。島村抱月の書生となり、東京音楽学校予科に入学。1914年「カチューシャの唄」を作曲し、松井須磨子が歌い大ヒットした。5歳年上の詩人・野口雨情と出会い「シャボン玉」を作曲。鈴木三重吉が主宰した児童雑誌「赤い鳥」が創刊され、北原白秋や西條八十ら時代の文壇人がこぞってこれに参加した。中山晋平は、「小学女性」や「金の船」などに数多くの童謡曲を発表する。雑誌「金の星」に「證城寺の狸囃子」、雑誌「コドモノクニ」には「あの町この町」「毬と殿様」などを発表した。中山晋平が生涯で作曲した作品は、童謡824曲、新民謡292曲、流行歌467曲、その他学校の校歌・社歌等222曲あり、現在判明しているだけで1805曲の作品がある。(令和3年12月現在)