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ローランの歌

ローランの歌 11世紀

「われらは正しい!邪はそれ外道にあり!」

極端な二元論に基づいて「われら」(キリスト教徒)が「外道」(イスラム教徒)を打倒するというのが作品の流れです。
「戦争もの」は人々の心を掴みます。生死を賭けた戦いの表象は、戦場に立った事がない人にこそいっそう魅惑的に映るもの。
フランス文学史上最初の傑作として挙げられるこの武勲詩「ローランの歌」で描かれる「外道」ことイスラム教徒の姿は、現実のそれとは似ても似つかないものです。聖戦思想に取り憑かれた人々がいかに狭い世界観で行動しているのか、リアルさから読み解くことができます。

偏狭さが見て取れるこの作品が傑作とされているのは、構成の巧みさもさることながら、「悲壮の美」が描かれ読者の胸に響き続けるからです。

主人公ローランの戦いは勝ち戦とも負け戦ともとれます。継父ガヌロンの裏切りにより、殿として残されたロンヌヴォーでイスラム教徒の大群に包囲され、二万のキリスト教徒軍と共に討ち死にする。ここまでの被害を出さないために援軍を呼ぶこともできたのですが、ローランは意地と見栄のためにそれを拒否したのでした。戦いの結果をみればローランは愚将です。しかしローランは敗北そのものによって勝利しました。何故ならかれの魂は天国に導かれ、死の直前に吹き鳴らした角笛の音を聞いて引き返してきた主君カール大帝が、最終的にイスラム教徒の総大将バリガンを倒すに至るからです。イエス・キリストがそうであるように、ローランは自分の死によって勝利します。

この作品には「繰り返しの美」(儚い美)が随所に見て取れます。例えば、作品序盤でガヌロンとイスラム教徒の王マルシルが和平交渉をするシーンです。「なぜ戦い続けるのか。」三度も同じような対話が繰り返されます。ガヌロンのそれぞれの問いへの答え。
「ちと的はずれのお言葉かと、存じます。・・・・」
「甥めに生命ある限り、まずそれは。・・・・」
「ローランの生命ある限り、まずそれは。・・・・」
これにより、目下の戦争の原因が次第に「ローランの生命」に絞られ、両者の間での利害の一致がみられていきます。

キリスト教徒軍とイスラム教徒軍が最初に激突する際、ローランはガヌロンの裏切りを敵将から告げられます。その時に彼が感じるのは「dole」。すなわち「怒り」ではなく「悲しみ」でした。
このローランの「悲しみ」は、敗北と死を避けられぬものと確信しつつ戦いに赴く者の心の痛みと相まって、読者の胸に響くのです。

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