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私が最も手放したいもの

このことについて書くことは、勇気がいる。
私が逃げてきたことだから。見ないようにしていたのだと思う。
それはそのことに向き合おうとすると、心がザラっとするから。呼吸が浅くなり「あ゛ぁぁぁ!!!」と怒りのような、恥ずかしさのような感情が溢れ出してくるから。それがなんとも心地悪いのだ。
いっそのこと考えなくてもいいか、とさえ思うのだけど、これに気づいて気になっちゃってるんだからどうしようもない。

さて、過去に2記事投稿したことにつながるのだが、私はここ5年ほど実の両親を避けている。今や、義理の両親でさえも避けている。

私には子どもがいない。
結婚する前から子どもがほしいと思っていた。結婚してすぐにできると思っていたが、できなかった。しばらくすると、母親から孫はまだなのか?と電話がくるようになった。〇〇ちゃんのところに子どもができた、などという話もよく聞いた。よく聞く話かもしれない。自分の子どもが結婚するまでやんや言って、結婚したら今度は孫はまだか?と言う。一人目ができたら二人目はまだか?そんなことの繰り返しなのかもしれない。

私はそんな母親からの電話に嫌気がさしていた。私がそもそも妊活に励んでいたからこそ、うまくいかない現状にイライラしていたのだ。だから、母親に「子どものことを言うなら電話してこないで。」と言った。

そのおかげか、ほんの数か月は落ち着いていたが、ある時、また電話がかかってきた。
「子どものこと聞かないでって言われたから聞かないようにしてたけど、今ならお金も支援できるんだから、早い方がいいんだから。」
そんなことを言われた。

私は不妊治療をするつもりはなかった。だからお金が必要と言うわけでもなかった。「いや、治療するつもりないから、お金はいらないよ。」そう、ただ返事をしたらよかったのかもしれない。

でも、私は本当にキレてしまった。堪忍袋の緒が切れたのか、触れてほしくないエリアに入られたからなのか、何かがその瞬間「プツン」と切れたのを感じた。

泣き声を堪えながら、何か伝えた。
もうその言葉は覚えていない。
電話を切って声を上げて泣いた。

その時の感情は、「悔しい」。
信頼しているひとに傷つけられたと感じた。
心が痛かった。

夫が帰宅してからも泣き続けた。
事の顛末を話した。
「もう電話に出なくていい!」
そう言ってくれて、少し安心した。

私はもう、母親からの電話に出なくなった。
もうしばらく声も聞いていない。
ここ数年は、メッセージのやり取りだけにしている。

私にとって、母親は信頼できるひと、味方だった。
だからここまで傷ついたんだと思う。
許せないってなってるんだと思う。

もし、仮にこれが他人のストーリーだとしたらどうなのだろう。
「あなたのお母さんは、あなたのことが心配だからそう言ったんだよ。傷つけようと思って言ってないよ。話せばわかるよ。」
とでも言うかもしれない。
「家族だって他人だし、やっぱり価値観も違うもんね。考えが合わないこともあるよね。あなたのお母さんはあなたという子どもを産んで幸せだったから、あなたにもそうなってほしんじゃないかな?」
とも言うかもしれない。

冷静に物事を見たいとき、出来事を客観的に感じたいとき、この方法はとてもいいなと思う。
まぁ、すぐにできたらいいけどね。私には数年かかったよ。

現実の出来事に入り込んでしまうと、自分を見失う。
もし、そうなったとしても、こうやって冷静さを取り戻せる手段があると知っているだけでも「気が楽」になる。

私はよく、「被害者」の立場をとる。
・〇〇が反対したから、できなかった。
・〇〇がいたから、できなかった。
・〇〇に「△△」と言われて、傷つけられた。
・〇〇がこわかったから、言いたいことが言えなかった。

人のせいにして、自分を守る。
自分のせいじゃないと思い込みたい。
責任をとりたくない。

「被害者」の立場にいたら、逃げられるのだ。

でも、それって、なんとも心地が悪い。
自分に嘘をついているから。
本当は自分には力強く生きていく力があるのに、それが未知だから、こわくて逃げてしまうんだ。
独りになるかもしれない、という孤独感も嫌なのかも。

〇〇された、という「被害者」の立場をとっていると、必ずその出来事が起こる。だって、それを体験したいってことだから。その登場人物さえも私の人生に登場させてしまう。
おいおい、悲劇…というか喜劇だな。
自分で楽しんでいるだけか。

私が最も手放したいものの話。



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