大事なもの
私にとって一番大事なもの。
それは、夫と猫との時間だ。
私は、夫が大好きである。
それは結婚当初よりそうだと思う。
大好きから愛に変わってきているかもしれない。
私はわがままで、子どもで、面倒な人間(だと思う)。
そんな私のことを夫は大切にしてくれる。
「なんのために生きてるかわからない。」
とぼやいていた時期も、
「そんなこと言わないでよ。」
と優しく寄り添い、抱きしめてくれた。
自分の心の内をうまく話せず、無言になってしまう時も、
なんで怒っているのか、言葉が出てこず涙してしまう時も、
そばにいてくれたことに、感謝しかない。
猫のころすけは、とある公園で子猫の時に保護された。
4にんきょうだいで生まれ、最後に保護された猫。
保護猫を家族に迎えたストーリーはまた今度お話しするが、
とにかくころすけを家族に迎えるために、都内から神奈川に引っ越しした。
ころすけは甘えん坊の男の子。
私の腕枕で寝たり、抱っこするとふみふみしたり、
外出が長いと大きくお口を開けて
「どこいってたの~!!」と言ってるかのように、鳴く。
愛しい存在。かけがえのない存在。
私には子どもがいないのだが、
ころすけのことを私の赤ちゃんのように思っている。
子どもが欲しくて妊活を頑張っている時期もあったが、
よくよく考えれば、すでに目の前に赤ちゃんがいた。
それに気づいた時に
「あ、そっか。もういるんだ。」
と腑に落ちた。
そこからは、自分のことを「お母さん」と表現している。
妊活中は自分のことを「お母さん」と言ってしまうと、赤ちゃん(人間の)ができないんじゃないか、と自分で自分に暗示をかけていた気がする。
洗脳というものはいつだって自分でかけられちゃうものだなと思う。
洗脳するひとがいて、
洗脳されちゃう人がいるのならば、
それは「されちゃうひと」もどこかで「されてもいいか」と思ってるのではないだろうか。(私個人の感覚です。)
もしくは、「自分の人生を放棄したい」と思ってしまったのかもしれない。
それって、人生の主導権を相手に渡すことだから。
だからこそ、洗脳されるなら、自分にされたい!
言い方を変えれば、洗脳とは信念だ。何を信じるかどうか。何を信じたいかどうか。どういう自分で在りたいか。何が自分にとって正しいと思い込みたいか。
人生の途中に逃げたくなることはある。
全部投げ出したくなることもある。
終止符を打ちたくなることもある。
それでも、何度でもやり直せるのが、人生だ。
どれだけつまづいても、ひとを傷つけてしまっても、失敗しても、恥をかいても、泣き続けても、
呼吸している限り生きていて、人生は続く。
どうしてもしんどいなら、立ち止まろう。
全部辞めちゃおう。
『生きること』
以上に大事なものなんてないのだから。