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日記:憩いながら暮らす:第六話「神の憩い」より:アウグスティヌス講和(山田晶)_6

ずっと読んできた表題本、最終話。この前に第五話のnoteが下書きのままあるのですが、それはいったんお休みで。

実は昭和48年のお話

ちなみにこの本は教会で山田晶さんが話したお話を本にしたものですが、そのお話は何と昭和48年にされたものです。

学生運動などへの言及もあり、その捉え方にも時代を感じますが、全体的にはずっと現在日本と、その直面している課題につながる話であることにしみじみとしたものを感じます。

「このままでいいのだろうか」「このままでいいのだろうか」という問いを呟く人たちを傍に、留めようもなく走ってきてしまった今だということです。

一方で思うのは、どんな線も最初の1mmの違いがどんどん大きくなってそれぞれ違う軌道へと進んでいきますから、そういった呟きがほんのちょっとずつ軌道を変えてきたとも言えるのかもしれない、ということです。

良くも悪くも、かもしれません。うーん、悲観的ですね。。。

ただ読書を楽しむ


第六話「神の憩い」はまだ週休二日制が始まっていない頃に書かれた、休日への考え方。休日と創造性(これを命の力と私は読みました)についてゆるゆると述べています。

ゆるゆると、というのは読みやすさもありますが、何より「休日という時間」さらには同じく「空いている空間を埋めようとしていること」へ「どうなんでしょう」といっている、この話自体の趣旨の印象でもあります。

そういったこのお話の趣旨に従い、私もこの最終話は「勉強」とか何とかいう目的に捧げるのではなく、読書のための読書といいますか、ただ読んで山田晶さんの考えにふれることを楽しんで終わろうと思います!

本当はいつもそうした方がいいのかもしれないなあ。いや、いつも楽しいんですけれどね。うーん。。。

この第六話は、語り口自体はやさしくても、内容は理解しづらいところがあります。わかる気がするけれども…といったところ。

…ではありますが、この点も、こういったフワッとした理解の仕方で留めておこうと思います。

第六話で語られる「憩い」は、とても魅力的な考えです。
「憩い」ながら暮らせたらいいだろうなあ、これもその気になれば(スイッチが入れば)すぐにできることなのかもしれません。

(詳しくは昨日のnoteをぜひ見てください!…よろしければ!)

日曜の夕方です、昨日に引き続き、ゆっくり暮れていく夕方の風が気持ちいいです、みなさま良い夜を。

(日記:2022年8月7日)

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