日記:エルフを嫌う心性が世界を転がす。またトールキンの手紙より:「力の指輪」第4話
「力の指輪」第4話視聴。ここまで見てきて、物語自体にけれん味がなく王道。ゲームオブスローンズ(まだ全部見てないけど)などに比べると、刺激が少ないと言える傾向。その少ない刺激が何かといえば多分「生々しい愛憎」だと思います。叙事詩を楽しむように悠々と楽しむのが正解かなと思っています。
エルフの異種間交流の行きつく先は
第4話ではエルロンドの「イイやつぶり」が止まりません。ああいう「いい子キャラ」はつまらなく見えることもあるのですが、愛おしくなるのはなんでだろう。秘密を持つ相手の言葉をちゃんと受け止め、恐ることなく誠実に自分の思いを返す姿が描かれました。
なおエルロンドとドゥリンの出会いについて少し語られましたが、出会った時には文字通りドゥリンはまだ子どもだったのではと思って楽しみました。
ドワーフも長命とはいえ、不死のエルフには及ばない。こういう異種間の時間軸の違いがもっと表現されると嬉しいなあ。エルフが異種と交流するということは、幼かった友人が自分と肩を並べる青年になり、壮年になり、ついに自分を追い越して老いていく様を見ることになるのですよね。
第3紀「ホビットの冒険」や「指輪物語」やのエルフは他種族との関わりをなるべく避けているように描かれますが、他種族の友人が去ってゆく様を幾度も見なければいけないとしたら、エルフが関わり自体を避けるようになるのは当然だとも思います。
ちなみに第4話のエルロンドパートでは「指輪」の重要アイテム「ミスリル」の登場も大きなテーマでしたが、同時に落盤事故が起こりましたね。カザド=ドゥムを破滅に追いやるバルログの予兆でしょうか。
あなたがサウロン側でしたか
第4話を視聴した方はご存知、視聴してない方は以下ネタバレですが。。。
ワルドレグですね。エルフにうっすらと不信感を抱える人間の典型キャラクターかと思ったら、すでにサウロン側でした。1話から彼の登場シーンを見直しましたら、確かに一貫して「悪の兆し」を否定し、過小評価するように誘導していますね。
そして勇敢な女性ブロンウィンの息子の、同じく勇敢なテオがほっとけません。父親がおらず、母親とエルフのアロンディルが親しいことから、屈託した感情を抱えていて、せっかくの勇敢な素地を発揮しきれていない。悲しいことにならないといいけど。
なおアロンディルが出身地と語っていたべレリアンドは第1紀の終わりに一部を除いて水没した地です。大河とはシリオン河のことかしら。ちなみに第1紀からアンドゥイン川もあります。指輪の世界は第1紀・第2紀・第3紀で地形が変わります。その変わる様は、こんな本があり、指輪の世界を追うには必携です。
嫌われるエルフが物語の推進力
さてヌーメノールでもエルフは嫌われています。ヌーメノールでの不人気の理由は不公平感だろうと思います。エダインの子孫だからこそ通常の人間よりも長寿。けれどもだからこそ、エルフとの違いを理不尽に感じやすいのでしょう。
このエルフを嫌う現象に根づく心性は、「力の指輪」物語の推進力かもしれません。アダルも劣化した元エルフ的な存在です(サウロンかもしれませんが。それならばエルフよりさらに高貴な出自です)。美しく不死であるエルフの周辺で、避けがたく不協和音が生まれてくる、そんな印象が強く残ります。
そして。。。ルーメノールノ東征のきっかけにガラドリエルを絡めるのですね、なるほど。
「イイやつ」エルロンドも好感なら、勇敢で好戦的なガラドリエルもかっこよくて良き。2人の後の姿(ロード・オブ・ザ・リング)とのギャップが絶妙なのだと思います。後との対比で言えば、イシルドゥアがとてもナイーブで多感な青年なのも、後の「英雄」イシルドゥアとのギャップの魅力がありますね。
ともかくも今回で、ガラドリエルの物語とアロンディルの物語がつながりだしました。一方でエルロンドのパートにはまだ接点がありません。サウロンはどちらにも顔を出すはずなので、2つのパートにサウロンの動静をどう繋げるのか、まだまだ楽しみです。
トールキンの「途方もない」夢:彼の手紙より
ところで「力の指輪」の配信が始まってから、私は私の中の指輪関連書籍を読み直したい気持ちを抑えることができません。つい言葉も翻訳調に振れてしまいます。
今行っている読書を一旦中断して、指輪関連を読んでいこうかなあ。それも良しと思える内容も、読み直しで見つけたのです。
「シルマリオンの物語」。その(恐ろしく長い)序文部分に収められているトールキンが知人に宛てた手紙に、興味深い内容を見つけました。これは、この指輪物語を映画やドラマに作品化する上で、とても重要な内容だと思います。
手紙の中でトールキンは、ギリシャやケルト、フィンランドなどの土地とは違い、イギリスには英語という言葉とイギリスという国土に結びついた物語がないと嘆いています。そしてそういったものを、つまりトールキンの考える「望ましい質と格調」を備えた物語を、イギリスに捧げたいと思っていたと書いていました。
トールキンが語る「望ましい物語」とはどういうものか。その表現はそれ自体が素敵なのですが、noteが長くなるのでここに引用はしません。一番重要なのは、その思いを語った後で述べられたトールキンの願いです。引用しますね。
トールキンは自ら神話世界や英雄譚をつくりあげるだけでなく、他の国の伝説や英雄譚のように、その物語を土壌として多くの人々が想像を膨らませ、絵や音楽やドラマを創作する、そういった未来を夢見ていたということです。確かにトールキンがイギリスに捧げたいと考えていた物語像を考えるならば、そうやって創作の土壌となることは本望だったでしょう。
そこを踏まえると今回の「力の指輪」のチャレンジは、まさにトールキンが夢見た未来の一つですね。というのは「指輪物語」も「ホビット」も、どちらも物語として完成されたものでしたが、今回の「力の指輪」はトールキンが残した様々な物語の断片の間を、制作者たちが想像して描き出すドラマだからです。
最近「インビジブル」という高橋一生さんと柴崎コウさんが主演のドラマがあったのですが、私は視聴者としてこれを「おんな城主直虎」の主人公格2人の来世と想定して(割り切って)楽しみました。そしてこれは「インビジブル」というドラマの楽しみ方の邪道だろうか?ということを考えたのですね。そういう経緯から物語の隙間を自分流に楽しむことの意味についてつらつら考えたりするので、このトールキンの言葉にもちょっと注目したのでした。
トールキンの哲学
トールキンの手紙は長く、また少し読むたびに色々刺激されるので、なかなか読み終わりません。なのでまだ途中なのですが、嬉しかったことが一つ。トールキンが彼の一連の物語に「堕落」というテーマが避けがたく出てくると語っていました。私は力の指輪の感想で「避けがたい劣化」が物語の魅力の一つと書いたのですが、ああ、やっぱりそうだったんだ、という気持ち。こういう嬉しさ、ありますよね?
そしてこの手紙からは、トールキンにとって無視しがたい哲学的なテーマが自ずと物語に反映されていたのだと分かります。そのテーマが私の関心と重なっていることも発見でした。だからこの(物語自体は21世紀の刺激過多な物語に比べて幾分「退屈」な)物語に、なんとなく惹きつけられてしまうのかなあ、と思ったり。またここについてもnoteしたい。
まあそういった理由で「指輪」関連書籍の読み直しも良いかなと考えています。
それにしても(恐れ多くも)だんだん映画評論家だった淀川長治さんみたいに、noteにおける読書・コンテンツ日記の終わりの言葉が決まってきそうな予感がしています。
いや、つまり、ほんっとうに世界は素晴らしいものが多すぎますね。どんなに暇とお金があったって堪能しきれない。だからこそ、きっと楽しみ方は量ではないところにあるんじゃないかなあと、そう思います。
(日記:2022年8月18日)