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日記:鶴見良行さんの自筆フィールド・ノートから思い起こす学びの姿勢:読書法探索記3_番外編

本を読むときに、本に書き込むのか、それとも気になったところをノート(iPADとApple Pencil)に手書きメモをするのか。まだ迷うところです。

きれいじゃなくても丁寧な文字なら

それはそうと、手書きメモの時は、文字を丁寧に書くのか、考えの巡るスピードのままに書き散らすのか、これもどっちがいいのかなーと思っています。綺麗に書かないと意味がないなーとは、後から見返していつも思います。少なくとも、パラパラっと見ても、分かる必要がある。一方で、隙間を開ける必要は必ずしもなく、きれいじゃなくても丁寧に書いた文字なら、びっしり書いてあっても読めるものです。


ところで手書きで「読める字で書こう」とメモを取っていると、思い起こす本があります。人類学者・鶴見良行さんのフィールドノート。そのうち、自筆遺稿(フィールド・ノート)を手書きのまままとめた本です。


学ぶことと生きること。手書きの文字にある言語外の情報


手書きのメモは、「そこそこ読める字」で丹念に書かれています。この本の発行に至った思いとして、鶴見さんと一緒にインドネシアを旅した編者森本孝さんは、鶴見さんの「歩く学問」の原点やその息づかいを多くの人と共有したかったと語っています。そこにあるのは、鶴見さんの学問する姿勢への敬意であると私は考えています。またそれはさらに、鶴見さんご自身のパーソナリティと不可分であり、生きることと学ことが一体となった学者の姿への敬慕でもあるのかなとも、思っています。以下、編者の前書きより引用します。

インドネシアでの旅の仲間の空気感や、まさに鶴見さんの息遣いが伝わってくる、すてきな文章です。

インドネシアの旅では、1日の行程を終えて安宿に帰ってくると、中庭のテーブルでビールを口に運びながら、旅仲間とその日の観察について意見を交わすのが鶴見さんの日課だった。<中略>。早朝の薄明の中庭のテーブルには大学ノートに観察記録を書きとめている鶴見さんの姿があった。それは旅仲間の誰もが馴染んだ鶴見さんの旅景色である。

エビと魚と人間と南スラウェシの海辺風景 鶴見良行の自筆遺稿とフィールド・ノート P10

学問は楽しくやらなければ……、と晩年に勤めた大学の学生たちにもよく話していた。<中略>深夜の座り机で、アルバムから写真を抜き取り、それを原稿箋に貼り付けて得意げな鶴見さんの真剣な「遊び姿」が瞼に浮かんでくる。

エビと魚と人間と南スラウェシの海辺風景鶴見良行の自筆遺稿とフィールド・ノート P11

私は「暮らしと一体の学びをしてみよう」と方法を模索している最中ですので…編者の森本さんが、鶴見さんの学問に向かう姿への敬慕を込めて本書をまとめたのなら、私が「どうやって読書をしようかなあ」と考えるとき、また手書きでメモを取るとき、ふとこのフィールドノートのことを思い出すのも道理だなあと、思います。

メモは、ノートだと保管が大変なのでiPADにまとめていますが、キーボードでなくAPPLE PENCILで手書きにするのも、そのメモを取ったときの、言葉の外の自分の思いも大切な学びの記録だと思っているのかもしれません。

そんなよもやま話。おやすみなさい。


この本は随分と昔に一度読んだのですが、とても面白かったことしか覚えていません。また読もうかなあ。

(雑記)
昨日の夜、久々に蚊が出なかったのですが、さっきベランダに出る時に蚊がさっと入ってきたような気がします。。。明日は大事な仕事なので勘弁してほしい。

(日記:2022年6月20日)

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