日記:NFTアートを買う気持ちとは(1)。「ディスタンクシオン」の裾野から眺めることはできるか
Twitterでフォローしているアカウントさんつながりで、最近NFTアートに興味を持っています。今のところ作ったものを公開する場所がないので、その場所にならないかなー、あわよくば誰か買ってくれないかなー?と思っているわけです。
そんなわけでNFTについて考えることが増えてきましたが、最近ブルデューの「ディスタンクシオン」がNFTを考えるヒントになるような気がしてきました。ビジネス対象としてのNFTではなく、作品を発表したり購入して自分で楽しむ場合におけるNFTについてです。まだまだ知らないことが多い人間の、現時点での考察です。
「趣味という闘争」
なぜかというと、ディスタンクシオンでは「趣味」を「闘争」と捉えているからです。…といっても、私は実際の本は読めていませんで(読みたいのですが…なかなかタイミングがなく)!「NHK100分de名著」を通じて知った聞きかじり知識…といった状態なのですが、私はこの番組を視聴して、「趣味という闘争」、「趣味における『何かを良いと判断する行為』には他者に対する卓越化の動機が含まれる」というお話にとても納得しました。
とてもおもしろかったのでテキストも買いましたが、これも「まだ読めていません」。すみません、積読派にも限度がありますよね。。。なので、この機会にいよいよ読もうと思っています。タイトルが「眺めることができるか」と及び腰なのはそのためです。
夕日の絵を買う理由
さて一方で、私は「芸術文化」って何だろう?と時々考えまして。現在のところ芸術文化には「生きる上での何かしらの感動を凝縮したもの」という一面があると考えています。例えば夕日。「こんなにもきれいなものが無料で見られるなんてすごすぎる!」といつも私は思います。そう思うと同時に「どうしてこの美しい夕日の絵を所有する必要があるだろう」と思うわけです。「毎日、無料で見られるのに」。
実際の夕日は、大気の状態や、どこで見るかによっても美しさは違いますよね。絵の夕日は、夕日から受けた感動をまとめた「自分の理想の夕日」なのだと思います。「凝縮したもの」と書いたのは、そういう意味です。そしてさらには夕日に対する自分の感動を凝縮して、これが私の見ている夕日だ、と知らしめる。この「知らしめる」には、他人だけでなく「自分自身に対して」も含まれます。私はこういう人間ですと示す・認識するバッジになる。それが絵を所有する動機では?と思うのです。
「趣味という闘争」とNFT
ここで、「何かを良いと判断する行為には他者に対する卓越化の動機が含まれる」というお話が再登場します。絵を買って「これが私の見ている夕日だ、と知らしめる」という動機は、ブルデューのいう「卓越化」と近いのではないでしょうか?そしてその思いがより先鋭化して現れるのがNFTではないかな?と思っているわけです。
なぜならアナログの絵と違い、デジタルの絵はクオリティを落とさず大量コピーできるから。その絵を楽しみたいだけならいくらでもネットで楽しめるところを、あえてお金を払って所有する。それは極端に言えば、「私はこれが好き」とバッジをつけて卓越化を図る行為につながるのでは?と考えたのです。
誰かがNFTで絵を買ってくれるなら
なんだか意地のわるげなお話しにも聞こえるかもでスミマセン。。。わたしはその動機がわるいとは考えておらず、さらには、これはつまりakimo自身にそういう感情がある(…かも)と白状しているようなものなので、どうぞご容赦ください。実際はブルデューが語るほど極端ではないか、意識化はされてないと思います。もう少し明るく認識するなら、「何かを好き」と思うときには「それを好きな自分」への肯定がベースにある…ということなら、それは健全で当然のお話としてあると思うのですが、どうでしょう?
NFTで誰かが絵を買ってくれるなら、その動機には通常よりブルデューが指摘する「趣味という闘争」の心理認識が大切なのでは?そしてこのことがネットで見聞きする「NFTでどんな絵が売れやすいか」につながるのでは?と私は考えています。
今日はここまで。もう少し続くので、また後日書きたいなーと思います。
ともかくも、私はちょっと積読していた「100分de名著ディスタンクシオン」をいよいよ読もう。。。(実際の本に到達するのはまだまだ先かなあ。。)
ところでもしかしてNFTアートに手を出したいなら、こんなことをnoteに書いてはいけないのでは。。。
雑記:仕事が定時上がりでした!一月万冊安冨さん動画にリアタイできました/「東と西の語る日本の歴史」(網野善彦)はあと少しで読み終わります/今日履いていた白いボトムは見栄え的にあまり良くなかったかもしれません
(日記:2022年4月28日)
引用本はこちら
おもしろかったです!番組では趣味とはなにか、それがいかに社会構造に結びついているか、階層の固定化などについて語られていました。