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「優しい」という印象を持たれたことがない人間たち

こんにちは、そらみです。
昨日noteで自己紹介を投稿し、華やかなnote生活が始まったわけですが、どういうことか早速「スキ」なるものを沢山いただきとても嬉しいです。

今日から本来の目的であるXのポストの振り返りができればなと思っていますので、よろしくお願いします。

今日のちょっと喋りたいこと

結局、自己顕示欲に負けた話

正直昨日の投稿を始める前、職業柄もあり、この媒体のおすすめ表示アルゴリズムとか条件とか調べたくなっていたんですが。(単純な興味です)
調べようとすると所謂”インプ稼ぎハウツー商材”系が多く、私のnoteを始める理由とはかけ離れていたため、踏みとどまりました。

とはいえ、あまりに誰からも反応が無いと寂しいな~と、自己顕示欲に負けて素直にXのアカウントだけ開設しました。
交流の一環として、良ければ絡んでいただけると嬉しいです。
※画像クリックでプロフにとべます。

昔作って放置したアカウントを掘り起こして作った新しいアカウント

noteと違ってXはそれはもう怖い怖い場所ですので、年齢や顔写真は使っていません。これがリスク管理というやつです。

それと、これから取り上げていく自分のポストというのはリア垢(リアルの知り合いとしか繋がっていないアカウントのこと)に投稿しているものですので、この新しいアカウントには載っていません。

新しいアカウントではどっちかというと交流をメインにできればな~って思っています。
ので、ぜひ仲良くしてください。

本日のMyポスト考察

本日の考察ポスト

さて、わたしのXアカウントの宣伝はここまでにして、早速わたしがこのnoteの目的としている、過去ポストの振り返りを始めたいと思います。

「Myポスト考察」とかいう微妙なワードセンスのラベルをタイトルにしれっと入れてますが、とりあえず付けたラベルなので、もっと良い言葉が浮かべばそれに取り替える予定です。見過ごして下さい。

今日取り上げるポストはこちら。
(関西出身につきベタベタ関西弁です。知り合いしかいない場で標準語を使うのをなるべく控えています。)

逆にこれすごいことやと思うねんけど、わたし生きてきてこの方、「優しい」というイメージをほぼ持たれた事がない。いや、持たれたかもしれんけど、「優しいよね〜」みたいなイメージ・感想を言われた事マジでない気がしてる。よっぽど何らかのインパクトがあるんやとすると、ポジティブなので嬉しい。

2024年6月25日 午前1:08 Xの自身のリア垢より

「優しい」と言われない人間たち

このポストに書いているとおり、わたしは昔から今の今まで「優しい」という他己紹介を受けたことがありません。
確かに、「いや、でも優しいけどね」とか、そういうのはもちろんありますよ。鬼じゃないので。

ポストの締めにもあるように、わたしは「優しい」以上のインパクトや印象を持たせる人間である、とポジティブに解釈しています。

そもそも、なぜ自分が優しいと言われづらいのか。
(別に自分は滅多に怒らないし、大雑把な人間なので細かくもないです、それくらいフォローさせてくださいこの文章だけでもお願いします)

個人的な理解では、「自己主張をするから」だと思っています。
仕事柄だけでなく生まれてからずっとそういうタイプでやってきているので。そうじゃないとこんなnote書きません。

日本人にとっての自己主張へのイメージって、やっぱり「優しい」よりもインパクトのある「わがままさ」を彷彿とさせるんではないかなと。

実際に相手との関係の中でその自己主張による被害はなくとも、なんとなく「主張激しいやつ」のイメージを持たれているのかなと分析しています。
それも、ポジネガ偏りなく、フラットに、です。

ただですよ。別に自己主張って、相手への否定だけでなく賛同をすることも自己主張です。
とてつもないYESマンでも、それは自己主張の強いやつのイメージになるのでしょうか。普通に「超優しいヤツ」とも受け取れる気がします。

そう考えると、自己主張という印象は「優しさ」の対ではない別軸の印象なのではないかと思えてきました。

「自己主張」と「優しさ」は同居できるか

よし、次は反対に「優しさ」のイメージを考えてみます。

まずは「優しい」の言葉の意味を辞書で引いてみました。

1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。「—・い顔かたち」「声が—・い」
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「—・く慰める」「—・い言葉をかける」
性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。「気だての—・い子」
4 悪い影響を与えない。刺激が少ない。「地球に—・い自動車」「肌に—・い化粧水」
5 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
「なにをして身のいたづらに老いぬらむ年のおもはむ事ぞ—・しき」〈古今・雑体〉
6 控え目に振る舞い、つつましやかである。
「繁樹は百八十に及びてこそさぶらふらめど、—・しく申すなり」〈大鏡・序〉
殊勝である。けなげである。りっぱである。
「あな—・し、いかなる人にてましませば、味方の御勢は皆落ち候ふに」〈平家・七〉

出典:デジタル大辞泉(小学館)

いや、めっちゃあるな・・・・・・・・・・・。

2の意味を見ると「 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。」と、これは自己主張と対になる意味ではないですね。

ただ、3・4・6の意味を見ると話が変わってきました。
「性質が素直でしとやかである。穏和で好ましい感じである。」
「悪い影響を与えない。刺激が少ない。」
「控え目に振る舞い、つつましやかである。」
確かに、これらの意味で捉えると自己主張とは対になるかもしれない。
自己主張は悪い影響を与えるかどうかは別として、刺激しかありません。
そして、控えめな振る舞いでもありませんね。

(おかしいな・・・・。)

よし、こうなったら英語の「kind」の意味も調べてみよう。

なんと面白いことに、「kind」に刺激の度合いやつつましさに関する意味はありませんでした。

ある程度予測はついていましたが、日本語の「優しい」のイメージに包含されがちな「無害さ」「控えめさ」はやはり日本独特の文化と感性によるもののようです。

そして、「自己主張」は主張内容に依らず刺激的かつ図々しいわけですから、「優しい」のもつ3・4・6の意味の対極にいるということになります。

「指摘することは優しさだ!」みたいな本来の優しさはうんぬんかんぬん、みたいな話はいったん置いといて、「自己主張」は「優しい」の対になり”がち”なんだと勝手に納得しました。

その結果、日本で自己主張の激しいヤツは「優しい」という印象を持たれづらい。

あ~なるほど、そりゃ友だちの彼氏が思ったより特徴がないときの反応選手権第一位が「優しそう」になるわけですね。
実際自己主張が強い人を友だちから紹介されると、それはそれで不安になりますから。(自戒)

良い意味でも悪い意味でも、「優しそう」というのは「危害がなさそうである」という重要な特徴であると、そうフォローしておきます。

「優しい」と言われないことが誇らしさでもある

ちょっと話は逸れてしまいましたが、半ば強引にわたし自身の考えに戻らせてもらいます。
※今から書くのはあくまでわたしの偏見です。

わたしのような自己主張の強い人間たちは「優しい」と言われないことにある種誇りを感じている節が強いと思っています。

(多分、こういうnoteなどを愛用している人たちは頷いてくれるはず)

普遍的な感性だと認識していますが、「優しい」ってやっぱり「=無難、普通」に見えてしまうんですよね。
というか、世の中のほとんどの人間が大体優しいだろって思ってます。
(わたしの世界が恵まれているからか、どっちかというと怖い人のほうが圧倒的に少ないだろっていう)

優しいことは当たり前であり、そこからどういう特徴を持たせていくか、そこが人間性の勝負どころなんだ!と。

優しさは盆栽で言うところの土です。自己主張性や積極性は幹であり枝であり葉であり花になりうる。
めちゃくちゃ良い土だとしても、盆栽はその形が重要です。素晴らしい剪定をしていかないといけませんから。
ハサミで枝を整えていくのが人生だと思っています。

だから、わたしたち「優しい」と言われない人間は、そのことを誇りに思っている節があるのです。
(そういうところが図々しく、慎ましくないんですよと、ちゃんとつっこみも入れておきます)

書き終わってみて

付け加えたいこととか

ぐだぐだ書いていると本当に書きたいことが書けていないような気がしてそわそわしますね。

個人的にはもっと、「じゃあなんて他己紹介されているのか」とかまで踏み込めればベストだったんですが、あまりに長尺になるのでやめました。
また違うタイミングでまとめられればいいな~。

おわりに

こんなに駄文になるとは、想定以上でした。
投稿後にめちゃくちゃ編集するんだろうなと思いつつ、仕事ではないのでそれで良いかと思っているこのごろ。
中身が全部書き換えられているなんてことが起こらないよう、広い心を持ってセルフレビューしてみます。
(投稿前にはできません、投稿しなくなるので。ごめんなさい。)

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また次回も読んでいただけると嬉しいです。
コメントやスキ(ちょっと照れますね)、フォローなどしてもらえると励みになります。

ではまた!

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