「推し活」の商用利用に注意しろ
こんにちは、そらみです。
この土日はゆるゆる休日だったこともあり、ゆるゆる投稿をしておりました。
たまには日記も、楽しくていいですね。
その日1日こまめに写真を撮って記録していっているような、皆さんの日記を見てほっこりしています。
今度わたしもカメラを向けて、ちょっとした旅ブログ的なのも書いてみたいなと思いました。
(その影響で、noteの「つぶやき」機能でちょっとした写真日記をつけております)
ちょうど来週というか、この日曜日から台湾に行くので、台湾のごはん記録とかも楽しそうですね・・・。
美味しそうに写真が撮れるようがんばってみよう~っと。
今日のちょっと喋りたいこと
いくらからが「はした金」かという話
さて、皆さんにとってのはした金、それはいくらからでしょうか。
というのも先日、大学時代のサークルの友人たちとタコパ(古い???)をした際に「○○の思う△△」をみんなで当てあいっこするゲームをしました。
(説明が難しい、雰囲気よ伝われ)
そこでわたしがお題となる番で、「そらみの思うはした金」がテーマとなったんです。
これ、わたしがお題になったということで、みんなが当てようとするのはわたしの回答になるんですが、
こりゃまた難しい。
そこで悩みに悩んだわたしの回答は「380円」。
自分でも驚くほどにあまりに正直な数字を回答にしました。
するとみんなから出てきた答えは、
3,000円、5,000円、10,000円。。。。。。
おい、恥ずかしすぎるだろ、こちとら380円ぞ。
(そもそもそんなセレブな印象どこから湧いてるんだ)
ということで、まあもう恥ずかしい、友人たちにリアルなケチさを思い知らせた回だったんですが。
この友人たちが持つイメージの「はした金」の金額、確かに対価として支払うコト・モノの種類によって変わるなと。
自分の本能を軸に支払いたくなるものに対しては、リアルに3,000円くらいが「はした金」のラインになることに気づきました。
逆に生活必需品的な、そういう、本能的というより理性的?(いや、まあ必需品だと理性より本能主体で求めてる感ありますけど)に必要とするものに対しては、380円よりも安い200円くらいになってくる。
という具合にですね、はした金ってお金持ちかどうかだけじゃなくて、その人が思うそのものに対しての価値で変わるんだなと気づかされたというお話でした。
本日のMyポスト考察
本日の考察ポスト
そしてなんと、はした金話が今回のポスト考察にもちょーっとだけつながります。
(たまたまです)
今日取り上げるポストはこちら。
「推し活」の商用利用
世間ではもう一般的に広く使われるようになった「推し活」というワード。
自己紹介でも書きましたが、わたくしそらみはゲーム実況・配信を見ることが好きなイマドキのヤングなので、まさに「推し」文化にはかなり深い理解があると自負しています。
(ご挨拶ができていない方の中で、わたしに興味のある方はこちらもどうぞ)
いまこの文章を打っているパソコンデスクの左横はまさに「推し」ゾーン(=聖域、サンクチュアリ)でして、あまり計算したくないくらいにはお金のかかった飾り棚と壁があります。
こんなに捻くれたわたしでも「推し活」をしているんですから、世は「推し活」時代、そして社会はそのビックウェーブを見過ごしません。
近ごろよく
「わたしを(ぼくを)推しませんか?」
のように「推し」となる対象が、自ら推し活を投げかけるような、そんなプロモーションが現れはじめました。
そう、わたしはこれを「推し活の商用利用」と呼んでいます。
ファン心理を操る魔法の言葉
そもそも「推し活」は、あくまで自発的な行動からなるものであり、所謂ファン側が使うワードとして始まりました。
(昔でいう「追っかけ」とかが近いのかな~と思います)
もちろんコアなファンたちは「推し」を応援するために、時間とお金を惜しみなく使います。
それがSNSの発達と相まって、「推し活」が世の中に発信され、ある種競争的な文化までを作り、マーケットはみるみる発展。
なんとその経済規模は2023年で約8,000億円※とも言われているそうです。
そんな大規模マーケットを持つ「推し活」、企業が見過ごすはずありません。
「推し活」がマーケティングワードになった理由は非常に単純明快。
「推し」という概念を使って、あくまでファンたちが自ら望んだ結果のように購買意欲を促す、そんな魔法の言葉だからです。
わたしのお仕事は基本マーケティングですから、プロモーションの難しさというのは身をもって知っています。
(これからの長いキャリアを考えるとまだまだペーペーですが・・・)
ターゲットとするユーザーたちに、自分たちの商材をいかに「自分ゴト化」してもらうか、そこがプロモーションにおいてめちゃくちゃ難しいポイントであり、まさにマーケターのお仕事です。
Instagramなんか見てみてくださいよ。
どこの企業も魅力的なセールスコピー作るなり、友だちの投稿のように見せるなり、あらゆる努力が伺えます。
なるべくセグメント絞って、できるだけパーソナライズされたような広告にするために、マーケターたちが頑張ってるんです。
そんな努力をして勝ち取る「自分ゴト化」ですが、「推し活」というワードはそれを一瞬にして可能とさせます。
そしてこの「推し活」、それだけでも魔法ワードなのですが、わたしが計測している限りなんと2段階の商用方法があるのです。
※出典:株式会社矢野経済研究所「「オタク」市場に関する調査を実施(2023年)」
https://www.yano.co.jp/press-release/show/press_id/3383
1段階目:推しと商品を結びつける
これは比較的昔からあるような、分かりやすい「推し活」の使い方です。
推し色
推しマーク
推し香り
このような、推しにまつわる概念だったりモチーフを自社商品と結びつけることで、購買促進する方法。
一番の先駆者、そして成功例はサンリオだと思います。
(現にわたしもグッズを買わせていただいております)
サンリオは実際に他キャラクター(推し)とコラボした商品を作ったり、推し色とサンリオキャラを結びつけたグッズを作ることで、オタクユーザーたちがこぞってメンカラ(メンバーカラー)商品を買う、みたいなそんなマーケットを築きあげました。
プロモーションとしてもあくまで商品のセールスの範囲を超えませんし、弱小・駆け出しでグッズが少ないコンテンツを推している側からしてもありがたい存在です。
ここまでは昔からある商法なので、わたしが詳しく言及する必要はないと思っています。
問題なのは2段階目です。
2段階目:とりあえず推してくれと頼む
「は?」みたいな見出しですが、まさしく冒頭のポストをした理由がこれ。
一般的なセールスは、まず商品の魅力をアピールして、その魅力を好意的に感じたユーザーを待ちます。
言葉にすると「こんなに良いところがあるから推してくれ」です。
ところがですよ。
「とりあえずあなたの推しにしてくれませんか?」
と、直接的に推してもらう側から前段なしに投げかける商法、それが2段階目です。
このマーケティング手法、個人的には結構根深い社会的背景を感じています。
最近の「推し活」は冒頭にも書いたとおり、競争的な文化の一面をはらんでいます。
というのも、SNSの発達により、「推し活」が自己顕示欲を満たすツールの一つにもなってしまったからです。
お金と時間を貢ぐことで、その推し活規模は大きくなっていきます。
それはある種「愛」を目に見える形に落とし込んでおり、それを社会へ露出させることで、他のオタクたちに対して、
「わたしはこれだけの愛を持っています、あなたたちはどう?(反語)」
と、自己顕示できるのです。
わたしは「推し活」において、SNSとの関係性がかなり厄介だなと思っています。
SNSに自分の「推し活」を投稿することで承認欲求を満たせるとなってくると、一定数の人間は「推し活」を自分のためにやり始めます。
もともとは大好きな推しの応援のためにやっていることが、いつの間にか自分の欲求を満たすことに変わっている。
ただし、推しという大きな盾がある以上、自身でそのことに気づけない。
この文化の発展は、ホスト業界を彷彿とさせます。
そのオタク(ホスクラ業界でいう姫)にとって、推し活(貢ぎ)の目的が、推し(ホスト)を応援すること以上に、自分の存在を肯定することになってしまっているんです。
そんな文化になった以上、ホストどころか推しとなる側の人間たちは、そのオタクたちの心の隙に攻め込みます。
そこで出てきたのが
「わたし(ぼく)を推しませんか?」
というワードです。
「推し」は欠陥をも愛させる
(ヤバイ、書いててかなり白熱してきました)
(本当はもっと簡潔に書きたいんですけど、あくまでこのnoteは垂れ流す場として使ってるので許してください)
2段階目を使ったセールスを行うとどうなるか。
まさに見出しのとおり、なぜか(なぜか)欠陥まで愛してもらいやすくなるのです。
詳しく知る→推す
ではなくて、
推す→詳しく知る
みたいな、ちょっと奇妙な順路を辿って関係性が構築されます。
この順番、推す側からすると、実際思ってたのと違うところだったり、苦手なところなども出てきます。
(当たり前、だって知らないんだもん)
対象がモノだとここでユーザーは離脱するんですが、ヒトだと話が変わり、「推し」パワーが遺憾なく発揮されます。
人間不思議なことに、普段会社の上司に抱いているような嫌いポイントも「推しだから」という理由だけで、「そんなところも可愛い」ポイントになっちゃうんですよね。
ブランディング+「推させる」、これだけで商品力がちょっと劣ってたとしても、ユーザーに応援させてしまうんです。
卵が先か鶏が先か、みたいな話ですが、「推し活」においてはそんなことどうでも良い。
誰も気にしないし、推しが可愛けりゃそれが正義なんです。
このように、盲目的な愛がいとも簡単に作れてしまう、これがマーケティングにおいて「推し活」が使われる一番の理由だと思っています。
自発的な推し活であればなんの問題もないのですが、もしもそれがコピーやプロモーションに乗っけられた無自覚に受動的な推し活だったら。
それは本人にも他人にも判別は難しいですが、プロモーションを考える立場として、「推し活」は健全なカタチでない場合も多いだろうなと、そう感じています。
長々と書き連ねましたが、最終的にわたしが何を言いたいかというと。
受動的な「推し活」はやめておきませんか
というお話でした。
(終わらせ方が雑ですみません)
書き終わってみて
付け加えたいこととか
まじですみません、結局言いたいことを雑にまとめてしまいました。
(いつもと言われるとそれまでですが)
推し概念の強み、これを逆手にとったプロモーションが世の中に蔓延してきたことで、悪質な事件も多発しています。
この社会、実際にこうやってマーケティング手法とかに関心がまったくない、そのまま真正面からコンテンツを受け取る人たちの方が多いです。
応援することでそのコンテンツが大きくなり、そのコンテンツが自分をもっと楽しませてくれる、そんなサイクルはとても素敵で素晴らしいことなんですが、そのサイクルが行われないコンテンツが乱立してきたのも事実。
「推し活」フレンドリーなわたしにとっても、マーケターのわたしにとっても、この「推し活」市場の行方を見守りたいなと思っているという次第です。
幸いわたしの「推し」は素晴らしい企業努力のおかげで、どんどんと発展しており、自分の「推し活」が目に見えるように自分への幸せを呼んでいます。
このサイクルと「推し」に対して、ありがたい気持ちを忘れないよう、これからも応援し続けたいなと思いました。
あ、ちなみにわたしの「推し活」における「はした金」のラインは3,000円です。
(家庭を持ったこともあり、金銭感覚がまともになりました)
おわりに
結局「自己顕示欲」「承認欲求」というのは魔法であり麻薬のようなものですね。
その沼にはまらないよう、みなさんも一緒に気をつけていきましょう・・・。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また次回も読んでいただけると嬉しいです。
コメントやスキ、フォローなどしてもらえると励みになります。
ではまた!
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