私が帽子をかぶる理由
こんばんは。空峯 千代です。
今回はちょっとしたカミングアウトをさせていただきます。なんというか、唐突でごめんなさいね。
私は9歳の頃から21歳に至る現在、抜毛症を患っています。
そもそも「抜毛症ってなに?」と思われる方もいらっしゃるでしょうし、順を追ってお話しますね。どうぞよしなに。
抜毛症ってなに?
抜毛症は字面でおおよそ察しがつくとは思いますが、端的に言うと自分で自分の髪の毛を抜いてしまう疾患ですね。
人によっては髪の毛だけじゃなくて、眉毛やまつ毛を抜くこともあります。
抜いた毛を食べてしまう食毛症も合併しやすいですね。
原因は家庭環境やらストレスやら色々言われてますが、実際ハッキリとは判明していません。
治療は可能ですが、心の問題なので。下手したら一生付き合っていかなきゃならないモノです。
抜毛症の詳しい説明会はこちらからどうぞ。
抜き始めた9歳の時
ここからは、抜毛症と12年付き合ってきた私の話。
始まったのは9歳。まだ小学3年生の時。
なぜだかは覚えていないけれど、髪の毛を抜いてしかもそれをバカ正直にゴミ箱に捨てたことを覚えている。
案の定、すぐ母親に見つかって酷く怒られた。それもなぜか病院ではなくて美容院で髪をカットしてもらいつつ私の髪について母は美容師さんにあれこれ相談した。その時付き添いで一緒にいた祖母が後日私に育毛剤を買った。
その後も私の症状は治まらずに髪の毛を抜いて、また生えてきて、また抜いてを繰り返した。髪を抜く度に母は私を叱りつけた。
「髪を抜くごとに罰金」と言われたり、洗面台の前に立たされて手持ちの鏡で頭皮が見える部分を晒しあげて「恥ずかしいと思わんのか」と怒鳴られたりした。
当時、私の所々地肌が見える頭を見て「あんたお岩さんみたいやな」と母が言ったことも覚えている。あの時の私は四谷怪談さえ知らなかった。
一応、私が抜毛症であることは両親、兄、母方の祖父母、いとこ一家は知っていた。(おそらく抜毛症の名前は全員知らなかった)
父親は冗談めかして「俺と同じの(育毛剤)使うか?」と1度だけ言ってきた。
兄は「痛そう」「それ恥ずかしくないん?」と何度か言ってきた。
祖母は母親が心配をかけまいと配慮したからか私の抜毛症を話題に出さず次第に忘れていった。
祖父は「千代の髪を結ぶ時にばあちゃんが強く引っ張るからだ」と言った。
いとこ一家のお母さん(母の妹さん)は情に厚いタイプで一時気にかけてくれたけれど、すぐに触れなくなった。
あの頃の私は大人を頼ろうなんて一切考えずに育っていった。
抜毛症を知った頃
私が抜毛症の名前を知ったのは中学生3年の頃。夏休みが明けて以降、教室へは行かずに""相談室""へ登校してた時期。
なんとなく部屋にある教員用の辞典をパラパラ捲っていると、なんとなく目に付く語があった。
「抜」く、「毛」、「症」状、と書いて""抜毛症""。
その文字列を見た瞬間に心がざわついた。
すぐに抜毛症の項目を見てみると、自分の事としか思えない文章が載っていた。
この時に初めて自分のしていた行為に名前があることを知って驚くほどに安心したことを覚えている。
原因は家庭環境だろうなあ、と中3の頭でもなんとなく思い浮かんだ。
子どもがいる目の前で平気に互いを罵り合い、機嫌の善し悪しに関わらずコミュニケーションとして「死ね」を用いる類の両親と暮らしてきたのだ。 そりゃあストレスにもなるよね。
それも髪を抜く→母に見つかって怒られる→ストレスでまた髪を抜く、をエンドレスで繰り返してきたから。
家族が症状に理解を示さない&環境そのものがストレスなのだから治るはずがない。
髪を抜く程度もタイミングによってはさまざまで、今思い返すとつらい時期は抜く量が多かった。
つまりは、ストレスの重さが抜毛症の悪化に繋がるのだ。
あとは習慣になってしまったのもある。一種の""クセ""と化してしまった。
当時は家族に「髪の毛を抜く時に痛くないのか?」と聞かれたけれど全然痛くない。むしろ髪の毛を抜く瞬間が気持ちいい。もはや快楽なのだ。
髪の毛を抜きたいと思う時がハッキリあって、1本抜いた瞬間に爽快感と気持ちよさがある。もっともっと、と思ってるうちに気づけば大変な量の髪を抜いてしまう。
あまり見て気持ちのいい物ではないだろうけど、1番最近に抜いた髪を捨てたゴミ箱を撮影しておいた。これは趣味ではなくて、資料撮影としてだ。
たしか2週間くらい前のものだったはず。
こんな風に髪の毛を抜いてはゴミ箱に捨てるを12年繰り返してきた。
最近は意識的に抜かないよう気を張っているから抜いていない。
普段は黒のキャップを被ることで頭を見せないようにしている。
「見られたくない」よりも「周りに私の頭を見せて不快にしたくない」が理由としては強い。大方3:7くらい。
TPO的な問題で帽子を被れない時は、母に髪の毛が無い部分を他の部分の髪の毛で隠すようにヘアセットしてもらっている。余程のことが無い限りは大体これで乗り切ってきた。
これからどう付き合うの?
ここまで抜毛症と私の長い12年間を訳してきたのだけれど、当然今も闘ってる。
最近は意識的に治すよう心を強く持っているから、少しだけ安定してきた。ちょっとだけ勇気は必要だったけど、ショートカットにするために美容院にも行けた。
抜毛症に関していろんな文章をネットで探した結果、いろんな人の抜毛症との向き合い方を知った。
ウィッグを着ける人。いっそのこと坊主にしてしまう人。しっかり向き合って完治させた人。幼いうちに自然と治っていた人。いろんな人がいた。
私は抜毛症と向き合ってちゃんと治したい。
頭皮を隠すために髪をピンで留めたり、帽子を無理に被らなくちゃいけなかったり、公共の場で帽子を被り続けて罪悪感を背負わなきゃいけなかったりするこの現状をどうにかしたい。
6月の頭に心療内科の予約を取った。ほんとは5月中に行きたかったけれど予約がいっぱいらしくて、診察してくれる1番早い日にお願いした。
少しだけ病状を話してみても門前払いを受けずに済んだのでちょっぴりホッとしている。
色々とあって、あまり医者は信用していない。それでも完治するための一手になればいいくらいに思っている。
抜毛症を患っている人たちへ
最後に、抜毛症を患っている人。
もしいるなら少しだけ真面目に読んでほしい。
私は周りに理解されないまま自分でもストレスを上手く処理できなくて12年間抜毛症に悩まされてた。
もしも今これを読んでいる貴方が抜毛症を治したいのであれば、症状を理解してくれる人が必要だ。
それは友人でもいいし、家族でもいいし、恋人でもいい。信用できる大人でもいいし、なんなら近くの喫茶店マスターでもかまわない。
理解してくれる人がたった1人いるだけで全然違うから。とにかくSOSを発信してみて。病院は電話で確認を取るなり評判を聞くなりして信用できるところにした方がいい。
よくない所だと尚のこと貴方の症状は悪化する。
貴方と同じ症状の人はここにいるから。私が生き証人だから。少しでもいい、安心して。独りじゃないよ。
それと、抜毛症ではない人へ。
気持ち悪いと思う人もそうでもないと思う人でも、理解を示してくれとは言わない。せめて知ってくれ。
こういう人間もいるんだということを肯定も否定もしなくていいから知っておいてくれ。頭の片隅にでも置いてくれ。そして認めてくれ。
君たちとは違うかもしれないけれど、私たちだって普通に生活している人間だからさ。異端扱いも特別扱いもいらない。普通に扱ってくれ。
かなり長々と綴ってしまったが、ここまでキチンと読んでくれてありがとう。
そんな貴方たちに、君たちに幸多くあらんことを祈っている。それでは。
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