愚痴と自然に付き合っていくためには
数日前に彼女と喧嘩をしてしまった。電話をしていて、彼女が会社の愚痴をこぼした。いつもならなるべく聞くようにしているのだが、その日はついカッとなってしまって、「そんなに甘えられても困る」と言ってしまったのだ。
その一言が彼女にとってはとてもショックだったらしい。電話を切られてしまった。「話を最後まできちんと聞いてもらいたかった」としばらく経ってからLINEが送られてきた。
どうして自分がカッとなったのか、最後まで話を聞けなかったのか、自分なりに分析し、率直な気持ちを彼女に伝えてみた。
「話をちゃんと聞けなくてごめん!慰めて欲しかったのはわかってたけどカッときてしまった。
この1ヶ月、電話をしてるとき、会社の愚痴みたいな話が多くて、聞くのがしんどかったんだよね。もちろん一切愚痴を言うなとは思わないけど。
でも会えないことも増えたのに、電話のときに愚痴が多いとこっちも悲しい気持ちになるんよね。久々に会えそうだけど、また会社の愚痴を聞かないといけないのかと思うと、会いたい気持ちも薄れちゃうのね。
信頼して話してくれてることはありがたいし、嬉しいことなんだけど」
彼女は「ごめん」と謝ってくれた。それで喧嘩はおしまい。自分の気持ちを伝えてよかったとそのときは思った。
いま振り返ると、ひとつの疑問が湧いてくる。愚痴をどこまで聞いてあげることが優しさなんだろうと。
誰しも愚痴のひとつやふたつ、言いたくなるときはある。ぼくだってたまには言う。だからなるべく誰かの愚痴も聞いてあげたい。
けれど、あまりにも愚痴を聞くことが多いと、嫌な感情が湧いてくる。辛い、しんどい、疲れた。そういう言葉がこちらにも伝染し、辛いし、しんどいし、疲れる。聞いてあげることができなくなる。
たぶん人によって、愚痴の適量みたいなものがあるのかもしれない。その適量が違うからこそ、愚痴を言う側と愚痴を言われる側で問題が起こる。「聞いてほしい」「聞くのがしんどい」とお互いの思いがすれ違う。
彼女とは愚痴を言うときの約束のようなものを作った。愚痴を言う前に、どれくらい聞いてほしいのかを伝えるというものだ。
「今日は5分だけ愚痴を言わせてほしい」
こんな形で共有してもらえれば、自分の適量をこえることがないか、話を聞く前に判断できる。適量をこえそうであれば、断ることもできる。それに「自分一人でまだ抱えておけるのかどうか」といった相手の状況もわかる。誰かに言わないとどうしようもないなら、多少無理をしてでも聞いてあげたい。
愚痴は悪いものと捉えられがちだけど、全てが悪いわけじゃない。むしろ愚痴を一切言わないというのも不自然な気がする。自分にとって、相手にとって、心地よい愚痴との付き合い方を今度も模索したい。
(執筆:佐藤純平)