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ガザの、ある恋物語         モハンムドさんとスジュドさん


はじめに

 この記事は、ガザにいる25歳の青年Mohammedさん(*以下「モハンムドさん」と日本語で記します)のことを伝えるために書きました。
 
 全文無料でお読みいただけますが、「ここから先は有料です」のボタンから購入してくださると全額、モハンムドさんと最愛の妻Sujudさん(以下「スジュドさん」)、来年3月に生まれてくる赤ちゃんへの支援になります。
 
また、直接寄付のできるサイトのリンクと、簡単な使い方の説明も最後に貼りました。

 ただ「生きのびるため」だけに毎分毎秒ものすごく頑張っていなくてはならない中で丁寧に質問に答えてくれ、大事な感情や思い出をシェアしてくれたモハンムドさんに、とても感謝しています。ありがとう、My Friend。

廃墟になった家のあとに座っているモハンムドさん。

(*お名前の表記について。
 ご本人が使っておられる英語表記にすることで、敬意を表したいという気持ちもあります。けれど、今回は日本語話者の方の読みやすさを優先しました。ひとりでも多くの方に、彼らのことを知ってもらえたら…と思ったからです。)

 

モハンムドさんの現状

 ガザの周囲はイスラエルのつくった分離壁にぐるっと囲まれ、「ひと」も「もの」も自由な移動ができません。
 「ひと」は、国外で医療を受けるための出国すら、今はめったに許可されなくなっています。
 「もの」も、イスラエルの官民双方による妨害のため、国際社会からの支援物資の83%がガザに入ることができていないと報じられています(*)。

 この封鎖は、2006年にハマスが選挙に勝ったことへの報復として始まりました。その結果、今回の侵攻以前にガザは「7割が失業、8割が貧困」という状態にありました。そこへ、ガザをまるごと更地にしようとしているかのような爆撃…。
 産業は壊滅的なダメージを受け、働いて稼ぐことは、多くのひとにとって不可能なことになってしまいました。

 そんな中で、アメリカのクラウドファンディングのようなサイトGoFundMeや、オーストラリアの同様のサイトChuffedを通じた寄付を、命綱としているひとびとがいます。
 この記事でご紹介するモハンムドさんも、そのひとりです。

*イスラエルによる妨害について
https://x.com/AJEnglish/status/1835939237746663806

(アルジャジーラ報道「15の援助団体のグループによると、イスラエル軍が包囲されたガザ地区に必要な食糧援助の83%を阻止しているため、ガザ地区のパレスチナ人は平均して1日1食しか食べていないという」)

(QNN・パレスチナ青年ニュースネットワーク報道「イスラエルの入植者がガザへの人道支援物資を運ぶヨルダンのトラックを阻止」)

ある日「これしか買えなかった…」とモハンムドさんが送ってきてくれた写真。小さなオレンジが2つとグァバが1つだそうです。これで、ふたり分。



今、彼に起きていること

 このインタビューの数日後、以前銃撃を受けたときに飛び散った銃弾の破片が、モハンムドさんの頭蓋骨に刺さっていることがわかりました。
 
 急に強い痛みが頭と目に生じ、その日はまだ「痛くてたまらないよ。治療のためにまた大きなお金が必要になって、君たちの重荷になってるのがつらい」と連絡をくれたモハンムドさんは、次の日にはスマホを見ることさえできなくなって、今はスジュドさんが代わりにTwitterの投稿をしています。

「こんな彼を見るのははじめてで…。痛みにも強いし、わたしと赤ちゃんのためならなんだって耐えてしまえるひとだったの。なのに」と、彼の痛みのひどさを伝えてくれるスジュドさんに、返す言葉が見つからなかった。
 そんなになってもまだ、彼が自分よりスジュドさんのためにこの事態を怖がっていることを聞かされて、ふたりまとめて抱きしめたいのに、なにもできない自分を責めながら書いています。
 
 あんなに、のろけまくってくれたのは、ほんの数日前なのに。
 これがイスラエルがやっていることなんだ。
 これが、ジェノサイド下で生きるということなんだ。
 何十回も、何百回も、何千回もそのことに怒りに震えてきたはずなのに、いま、はじめてのようにそれを身にしみて感じながら。

レントゲン検査を受けるモハンムドさん。


検査結果。矢印の先に、頭蓋骨に突き刺さった破片が。



モハンムドさんとの出会い

 モハンムドさんと知り合ったのは、一ヶ月ほど前。今年の9月末のことです。その頃わたしはガザの身元確認済み(身分証明書のお写真を送っていただいたり、ビデオ通話をしたり、いろいろな方法を複数組み合わせて行われています)の方への寄付を呼びかけたり、前述の海外サイトが使いづらい方からお金をお預かりして、代わりに入金したりするようになっていました。

 身元確認が済んでいるのを知って彼のTwitterのアカウント(@sa95021)をフォローするとすぐ、DMが送られてきました。

「僕はガザのモハンムドです。手を撃たれて働くことができません。妻は妊娠中で、僕らは家を追われ、強制的に移動させられました。あなたの親切を必要としています。寄付してくださいませんか?」と。

 既にあちこち寄付していて自由になるお金があまりない、バナーなら作れるけどいかがですかと持ちかけて、スジュドさんの妊婦検診のためのバナーを渡すと、
(モハンムド)バナーありがとう。でも、一緒に何書いたらいいかわからないよ。
(そらまめ)なんでもいいと思う。あなたが「みんなに知ってほしい」と思うことを書けば。ほら、あなたがスジュドさんをどんなに大事に思ってるか、とか?
(モハンムド)わかった、そうするよ!

 返事のあまりの速さと勢いに、目を丸くしたことをよく覚えています。
 そうか。
 あなた、彼女を想う気持ちについてなら、なんぼでも書けちゃうのか…!
 
 スジュドさんの話になると、空気が柔らかくなる。なんなら見えないハートマークが飛びかってるような気がする。
 それはその後も変わらず、今に至ります。この記事のためのインタビューでも、途中で彼が「ねえ、ほんとうにこれで、チャリティ記事になるの? 書きたいこと訊けてる?」と言い出したこともあったほど、恋バナばかり尋ねてしまいました。
 スジュドさんへの想いを語っているときだけ、彼がとても生き生きしていて、元気で、幸せそうで、一秒でも長くその状態でいてほしかったから。
 そしてもうひとつ、モハンムドさんとスジュドさんが「数じゃない」ということを、これなら伝えられるんじゃないかと思ってしまったから。

 これから綴る恋物語は、いま、狭い「2024年版ゲットー」の中を追い立てられながら、爆撃と、人工飢餓と、あらゆる非人間的な扱いによって殺されていっているガザのひとびとのなかで生まれた、ほんとうの物語。
 イスラエルは、アメリカは、その肩を持つ国々は、無関心なこの日本のひとたちは、彼らを人間として扱っていない。
 でも、ふたりはまちがいなくわたしたちと何一つ変わらない人間で、美しい恋をして、それを守ろうと必死になって生きている。

 ふたりが生身の人間だということが、ひとりでも多くの方へ届けばいいなと願っています。

 そして、同時に、モハンムドさんとスジュドさんが決して「物語の登場人物」などではなく、わたしが彼らの恋を「彼らに心を寄せてくださる方を増やしたい」という思惑で利用し消費していることを、忘れたくないと思っています。

 この恋はほんとうなら、ガザで静かに生まれ、静かにはぐくまれ、そこに咲いているだけでよかったはず。
 それを「ふたりも人間だよ。見てよ、この愛おしい、かわいらしい、真剣な恋を」と突きつけるためにむきだしにさせなくてはならないことの、なんという不均衡、暴力性だろうと思うのです…。

 前置きが長くなりました。
 ここから、彼へのインタビューをお目にかけます。 

彼女は世界一美しい女の子だった。そして、今もそうだよ」と語るモハンムドさんの恋物語をお読みください。

婚約後、はじめてのデートのときに撮った写真。


 

ふたりの出会い

 僕はグラフィックデザインを、彼女はマルチメディアを勉強していたんだ。共通点のある分野だよね。それでインターネットで話すようになったんだけど、そのときはただ画像ファイルを送りあったりするだけだった。

 そのあと同じ会社でいっしょに3年働いたけど、そのときも、まだ、ただの友達。でも僕は彼女に恋してたから、毎日彼女のところへ行ってたんだよ。仕事のためじゃなくて、彼女の顔を見に。彼女に会いたかったから。思いきりお洒落をして、顔とか髪とかもとても気を配って。彼女の前では誰より美しい人間になりたかった。

 幸い、彼女も僕を好きでいてくれるのがわかったんだけど、ふたりともそれを認める勇気がなかなか出なかったんだ。
 その会社での仕事が終わってからも、僕たちは連絡をとりつづけてた。僕にはインターネットでメッセージを送りあってる女の子たちが他にもいて、ある日、彼女がそれは嫌だって言ってくれたんだ。で、僕が「それって、愛してるってこと?」って訊いたら彼女がうんって。

 その時から、僕はもう女の子達全員との縁をすっぱり切って、彼女のためだけの男でいることにしたんだ。二日後に、彼女が僕を愛してるのを知ったお父さんが彼女を叩いて、僕のところへ乗り込んできた。お父さんにきっぱり言ったよ。「彼女を愛してる、一年以内に結婚するつもりだ」って。そのとおり彼女の実家へ行って、プロポーズして、そして結婚したんだ。

 あなたと彼女は職場で出会ったんだ。同じような分野を学んで、一緒に働いて、恋に落ちるなんて素敵。

 すごく、すごく素敵なことだよ。

 そのあと、彼女のお父さんはふたりの結婚をすんなり許してくれたの? 最初は怒ってたんでしょう?

 うん、でも僕が彼女を本当に愛してて、一人前の男で、彼女を幸せにできるとわかってからは、反対しなくなった。
 そして今、彼女は僕の最初のこども、ハリーファを妊娠してる。彼をハリーファと名づけるつもりだよ。リーダーっていう意味なんだ。
(*「後継者、指導者」という意味で、世界史の授業で習った記憶のある「カリフ」のことだそうです。カリフと発音することはアラビア語圏では好まれないとも書いてありましたので、ここではなるべく元の音に近づけてハリーファと表記します。)*https://alarabiyah.sakura.ne.jp/category/words/name/ (「アラビア語学習メモ」より「アラブ人名・家名辞典」を参照させていただきました。)

 赤ちゃんの名前まで教えてくれてありがとう。美しい名前ね。こどもが生まれるってわかったとき、どんな気持ちだった?

 すごく素敵な気分だったよ。僕には将来、そばにいて支えてくれる誰かがいるんだなって感じた。

 そうだ、いつ結婚したの?

 戦争が始まる、ほんの数日前。

 ええ…なんてこと。そうだったの。天国から地獄に突き落とされたようなものじゃない…

 僕たちの人生は、ほんとうに、天国だったよ。

  彼女とどこかへデートに行ったりした?(そうできるだけの時間があったんでありますように)どこか思い出の場所があったら、その話を聞かせてもらってもいい?

 行ったよ。婚約していた間に、北部のいろんなところへ行った。デイル・アル・バラのマリーン・クラブとか、市長のレストランとか。思い出をよみがえらせるには、もうお金がないけど。 

  ごめんなさい、最初に大事なことを伝えるのを忘れてた。もし答えたくないことをわたしが訊いてしまったら、その話はしたくないと教えてください。わたしはあなたが寄付を集める手助けをしたいだけで、絶対に傷つけたくないと思ってることを忘れないでいてほしいの。

 いいや、マイ・フレンド、僕は過去の日々を愛してるけど、同じように現在も愛してる。たとえ困難があっても、妻がいるからすべては美しいんだ。僕の人生のどの時点のことも、話したいと思うよ。
 
  あなたは本当に勇敢なんだ…彼女のお父さんが、だいじな娘とあなたがいっしょになるのを賛成した理由がわかった気がする。

 それが、彼女が、僕といれば安全だと感じてくれる理由でもあると思う。

  この状況で誰かに安全だと感じさせるというのは、並大抵のことじゃないと思う。でも、彼女はあなたといると、その感覚を得られるのね。

 近くで爆撃があるたびに、彼女を膝にのせて、覆いかぶさって隠しているんだ。彼女を僕と地面ではさむようにして。銃弾の破片*はランダムに飛ぶから、彼女に当たるんじゃないかと怖くて。彼女を全方向から包むことにしてる。
(*11月9日追記。「榴散弾(悪名高い、飛び散って殺傷範囲を広げる銃弾のことではないかと思います)」と記載していたのですが「英語圏での慣習的な誤用のひとつに、shrapnelという”特殊弾を指していた単語”で、”殺傷用の破片一般”を表現してしまうことがある」と教えていただきました。その種の残虐な特殊弾も実際に使われているので、そちらであった可能性もありますが、貫通していることから考えても「榴散弾」ではなく「銃弾の破片」という訳のほうがふさわしかった気がします。)

 彼女があなたのどんなところを好きになったのかも、なんとなくわかった気がする。もしよければ、彼女のどんなところが好きなのかも訊いていい?

 彼女の助けになることならなんでもするし、頼みを断ったりも絶対しない。仕事のことはうんと励まして、彼女が僕と恋に落ちてくれる前は、まるで僕の娘みたいに、何もつらいことを感じないで済むように扱ったよ。彼女の幸せは、僕の責任だと感じてる。

 彼女が僕の前でこどもみたいにふるまうのを見ると、彼女の愛を感じるんだ。彼女はほんとうに特別な存在。こども。彼女のこどもっぽいふるまいを見てると、すごくやさしい気持ちになるんだよ。

 大切なお連れ合いと、大切な気持ちのことをたくさん聞かせてくれてありがとう。

 彼女と出会ったのは、僕の人生に起きた最高のできごとだよ。もし僕が本を作ることがあったら、その中にどんなに彼女を愛してるか書くんだ。必ずそうする。

手の負傷

  話が変わりますが、いつ理髪師さんになったの? 彼女に出会った時はグラフィックデザイナーだったんでしょう? ああ、でも、その2つの職業は似ているよね。何か美しいものをつくりだす仕事だというところが。 

 布の裁断の仕事もしていたんだよ。会社には早朝から正午まで行って、そこから夜の9時まで理髪店に行っていたんだ。それから帰宅する。でも戦争が始まって、会社ってものはなくなってしまった。

 戦争が始まったばかりの頃は、避難所に行って、みんなの髪を切っていたんだ。手の怪我をするまでは、人生は美しいままだった。

 布を裁断して縫う仕事をしていた時期もあるんだけど、切るほうが専門で、縫うほうはあんまり。工場が止まってしまうまでの間だったけど。それで理髪の分野に行った。そういうことは全部学校や大学に行きながらで、なぜかというと父が2008年に亡くなってしまったんだ。(*16年前、つまり彼はまだ9歳です…)
 
  あなたはすごい働き者なんだ! いろんな分野のことができて、どれも美しい仕事ばかり。あなたの魔法の手に起きたことがほんとうに残念です。

 こどもが無事に生まれたら、次は、手の手術費用を集められますようにと祈ってる。
 妻のために会社を始められたらいいなって思ってるんだ。経営は彼女。神のご意志があれば、いつか、彼女のためにそうできる日が来る。僕はいろんなことがうまくできるんだよ。手の手術を受けられたら、仕事に戻って、彼女のための会社を始められるように資金を稼ぐんだ。


占領軍が撤退したあと、家のあった場所を見に行ったときの写真。完全に破壊され、瓦礫の中にペンケースが落ちている。

  いま、友達の携帯を借りて君とやりとりしてるんだ。自分のは、最後に強制移動させられたときに壊れちゃって。

 これは、僕らが住んでた地区から軍が撤退していった後、自分の携帯を見つけたときの写真だよ。この中には、僕と妻の日記も入ってる。ポケットから落ちて、こんな形で見つかったわけさ。誰にも見られなくて助かったよ。

 ひどい…これはいつのこと? 手を撃たれたのと同じとき?

 いや、もっと後、何か月も後だよ。

 あなたの手の怪我はお連れ合いをかばってのことだったという投稿を見た記憶があるんだけど、もし嫌でなければ、何が起こったのか話してもらえますか?

 占領軍が、僕らにまた避難しろと命令してきて、それで僕たちが避難していたら、彼らは無差別に発砲してきたんだ。彼女はベールを着けていて視界が悪かったし、彼女が狙われたと感じたから、彼女に覆いかぶさったんだよ。
 それで、弾が僕の手に当たった。一瞬のことで何でそんなことができたのかわからないけど、彼女を守れたというわけ。神に感謝するよ。

 あなたは彼女のヒーローなんだ。「君を守ってあげる」と口にする男は大勢いるみたいだけど、文字通りそうしたひとには滅多にお目にかかれないわ。神様が、彼女を守るようにあなたを選んだみたい。傷は酷かった…?

 僕も同じように感じたよ。神に毎日感謝してる。銃弾は手を貫通して、神経に損傷を与えてしまったんだ。

 だから手術が必要なのね。ほんとうに、早く停戦して、あなたがちゃんと治療を受けられるようになってほしい。あと、あなたのお連れ合いが残りの妊娠期間をおだやかに過ごせるようにも。

 うん、だから手術が必要だし、仕事ができないんだ。

(ここでわたしが、こちらの情報をほとんど開示しないままここまできてしまったことに気づき謝ると「そらまめっていう名前だってことは知ってるよ。女性だよね。合ってる?」と、いともおおらかな返事がもどってきました。)
 
 実は、そらまめはわたしの猫の名前なの。

 猫は大好きだよ。スーザンっていう名前の猫を飼ってたんだ。ご近所さんの名前をもらった。彼女にそっくりなふるまいをするから。
(もっと突っ込んで訊きたかった…。DM欄への表示にタイムラグがあり、わたしがこの話に食いつく前に、話は先に進んでしまっていました。今度聞こう、と思っているうちに彼はそれどころでなくなり、そのまま訊けていません…「猫のスーザンとモハンムド」という続編が書ける日がくることを祈っています。)

 神様があなたの人生を美しいものにしてくださいますように。君の人生が美しいままであるように、君たちの愛がずっと続くように、神様に祈るよ。

 わたしのために祈ってくれてありがとう。あなたはとても親切ね。わたしも、いつも祈ってる。あなたと、お連れ合いと、赤ちゃんのために。

 ありがとう、マイ・ディア・フレンド。君のことが大好きだよ。

読んでくださった方へ、モハンムドさんからのメッセージ

 最後に、読んでくれた人へのメッセージをおねがいします。

 友人たち。あなた方は僕たちと知り合うより前に、僕たちの苦しみを知ってくれていました。そして、進んで美しい感情をもって接してくれた。そのことは、僕らがこの災厄に道徳的に立ち向かう助けになっています。

でも、僕らのことをもっとよく知りたいと思ってくれますか? 

僕たちは誰のことも愛し、誰に対しても心を寄せます。学校で広島の惨劇を学んだとき、日本の人々が経験した苦しみがどんなに大きかったかを感じました。先生たちがしてくれた話に衝撃を受け、怒りました。

 いま、僕たちはただ死というものに苦しんでいるだけじゃない。単なる死じゃなくて、飢えだったり、必要とするものが何もなかったり、治療も受けられなかったり、高い物価だったり。そういうものが本当の苦しみです。

 あなた方は、僕たちをそこから救ってくれることができる。僕たちに与えてくれるすべてのものに感謝しています。皆さんをとても愛しています。世界でいちばん美しい人々で、地上でいちばん優しい心の持ち主である皆さんを。

あとがき

 東日本大震災のあと、日本のわたしたちを励まし慰めるためにガザの子どもたちが凧を揚げてくれたことを、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。

 彼らは、モハンムドさんの言うとおり、わたしたちの苦しみに心を寄せてきてくれました。広島のこともちゃんと学んで、知ってくれていて、怒ってくれていたなんて思ってもみなかった…。

 なのに、わたしたち日本人の大半はパレスチナの苦しみを、いまだに知りさえしない。機会があっても「つらくなるから見たくない」と目を背ける。
こんな不公平があっていいの? と思います。

 冒頭のオレンジとグァバの写真を送ってくれた日、ちょうど「ガザのどなたかへ寄付してください。寄付先はお任せします」と預かっていたお金があったので、彼へ寄付しました。

 すると、すぐDMが送られてきて「マイ・フレンド、そらまめ、どうして僕に寄付なんかしてくれるんだい! 僕たちに寄付してばかりで君がお金がないのは知ってるんだよ。僕が君にしてほしいのは、言葉で僕のことをみんなに伝えてくれること、それだけで十分なのに」と。

 あわてて事情を説明しましたが、彼は「僕との友情が、君の負担になるのは嫌だ」と譲らず、わたしは「金銭的にしんどいときは、ぜったい寄付はしない」という約束をさせられたのでした。

 スジュドさんの妊婦検診の費用や、彼女に栄養をつけさせるための食費のことならみんなにDMを送りまくる彼が、自分の検査費用や治療費になると、とたんに「僕は、日本の友人たちの重荷になってる…」としょんぼりし、寄付をお願いするのも嫌がる姿も見ました。
 
 スジュドさんの頼れるヒーローで。
 妻にべた惚れの青年で。
 息子の誕生を心待ちにしているパパで。
 そして、極限状態でも、相手と対等の友情を結ぼうとするひと。

 それが、わたしの見たモハンムドさんです。
 こちらが寄付し、彼らは受け取る。初めから傾いた不均衡な関係性がつらくて、「こんな形じゃなく出会いたかった」と、何人のガザの方に言ったかもうわかりません。

「普通の話がしたかった。恋の話とか、これまでどんな人生を歩んできたかとか。普通の友達が、相手のことを知ろうとするときに話すようなことを。だってわたしたちいつも、何を買わなくちゃならないから何ユーロ必要だとか、避難命令が出てしまったとか、そんな話をする余裕しかないんだもの」と嘆き「だから、今日、あなたの話が聴けて嬉しかった」と伝えたとき、「友達だからね」と返してくれたモハンムドさんが、早く治療を受けられて、元気になって。

 またのろけたおしてくれる日が来ることを、心の底から願っています。

 長い文章を最後までお読みくださって、ほんとうにありがとうございました。
 もしお心にかなえば、モハンムドさんへのサポートもどうぞよろしくお願いいたします。

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