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私が21歳の春にうつ病になったわけ

■初めての長期実習
理学療法士になるため、日々勉強していた私は忙しいながらも充実した大学生活を送っていました。
大学3年生の終わり、3週間の学外実習が始まりました。今までの実習との大きな違いは、1人きりで3週間という長期の実習だったことです。初めて1人でお世話になる病院へ挨拶へ行ったとき、対応してくれた人が少し苦手なタイプの人(サバサバ系の高圧的な人)だと感じました。思えばその時から少しずつ歯車が乱れていったのだと後で知ることになります。


■洗礼を受ける
極度の緊張に襲われていた私は、人見知りでコミュ障という持ち前の不甲斐なさを存分に発揮し、全くと言っていいほど実習地に馴染むことができませんでした。5,6人の少人数の職場で私は1人孤独を感じることになります。決してアットホームとは言えない空気感の中で小さなミスをしていく私。どうやら最初から「出来の悪い学生」の烙印を押されたようでした。


■圧倒的な孤立
私は自分から職員の方々に話しかけることもできず、もちろん話しかけてもらえるはずもなく仕事が始まる前の時間や休憩時間は1人きりで過ごしていました。「もっと自分から会話しないと」と注意を受けましたが、私を会話の中に入れてくれる雰囲気はありません。孤立を感じる決定打となったことがあります。それは名前を呼んでもらえなかったことです。私はいつも「学生」と呼ばれ、時には「好きに使っていいから」と道具のように扱われるときもありました。自分は認められていないと強く感じました。目の前でつかれるため息、突き返される課題、陰口…どんどん私は追い込まれていきました。あるとき、実習中に涙がこらえきれず泣いてしまいましたが、指導者からは「私が泣かせてるみたいに見えるからやめて」と言われたのでした。

誰にも相談できない日々で、唯一お母さんとだけ連絡を取っていました。しかし家に帰れば結局1人、誰もそばにいてくれない孤独が更に私を苦しめたのです。


■帰り道
実習先の病院から駅まで歩いて30分位あったと思います。その30分を毎日毎日泣きながら歩いて帰ったことを今でも覚えています。今でもその道を通ることが嫌になるくらいにはしっかりと記憶に植え付けられています。泣くまいと思っても家まで涙が我慢できなかったのです。あるときパチンコ屋の駐車場整理をしていた人に「大丈夫?」と声をかけられました。きっと毎日同じような時間に号泣しながら帰っていたから印象に残ってしまったのだと思います。申し訳ない。


■家に帰ると
家に帰ってからも地獄は続きます。ご飯は喉を通らず、当時口にできたものは野菜ジュースとカントリーマアムだけでした。2週間で5kgやせていたことに実習が終わってから気づくことになります。そして何よりもつらいのが課題の量。眠る時間を削って、ひどいときは1時間睡眠で次の日の実習へ行きました。それだけ頑張ってやった課題も赤ペンだらけでため息と一緒に返ってくるのです。毎日毎日その繰り返しでした。毎日10枚以上印刷する日々で、実習中に家のコピー機が壊れなかったことだけが唯一の救いです。


■実習が終わった先に待っていたもの
単位が取れなければ即留年という絶対に休めない3週間の実習が終わりました。ホッとした気持ちはなかったような気がします。正直終わったときの記憶はあまり残っていません。実習が終わってからも食べられない、涙が止まらない、眠れないという日々が続きました。家族が心配して病院を勧められ受診して「うつ病」という診断が下りました。急にうつ病と言われても自分の中ではなかなか受け入れられなかったことを覚えています。

そこから始まったのはまた地獄のような日々でした。基本鉛のような体で1日中ベッドから動けないという状態が続き、薬の副作用とも闘う日々…大学を休学または退学することも視野に入れ始めていました。


■4年で卒業する決意
大学の先生と面談したり家族の支えもあり引き続き大学生活を送ることに決めたのが大学4年の4月。同級生にはうつ病をカミングアウトせずに過ごすことにしました。もしもカミングアウトしてみんなの態度が変わったら…ととても怖かったからです。涙、不眠、過眠、過食、吐き気…様々な症状や薬の副作用に悩まされながらも日々なんとか生きて過ごしていました。4年生の長期実習(7週間×2)をうつ病に理解ある実習地で無事終えて、国家試験にも合格し…山あり谷ありなんとか理学療法士の資格を手に入れて4年で大学を卒業したのでした。今思えばこんなに努力したことは人生でなかったかもしれません。


■そして就職
縁があって4年生の実習でお世話になった病院への就職が決まりました。実習時にはうつ病をカミングアウトしていたのでオープンで働くことができています。3年生の実習で得られなかった「居場所」がそこにはありました。うつ病に理解ある上司には頭が上がりません。


そんな感じでうつ病になって7,8年が経ちました。現在もうつ病の波はあり、大きく左右される時もありますがなんとか付き合いながらやっています。(やれてるのかどうかは疑問)
毎日「しにたい」と思って過ごした日々からだいぶ時が経ちましたが、今でも昨日のように思い出すことがあります。私を苦しめた環境はもうないのに…

私が21歳の春にうつ病になったわけを簡単に書いてみました。書きながら当時のことをまた少し思い出しましたが、今は大丈夫そうです。いつか忘れるくらい、二度と思い出さないくらい楽しい日々を送れたら…そんなことを思って過ごしています。

今ある環境に感謝して少しだけ前向きに歩いていけたらいいな。


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