ピザもどきを作って、なにか書きたいものがあるか考えた。
noteに何か記事を投稿したくて、でも何を投稿していいのか分からなくて、岩井俊二的モノローグで書き始めてみても、答えは見つからないんだ。
腹が減ってはなになにということで、昼飯を食べながら書きたいことでも考えることにした。まだまだ自粛中だし外はゾンビだらけだということで、余り物で作れる料理ははないか、真実が巧妙に隠されることで有名なインターネットという世界に頼ろう。
家でピザは作れます。
僕はその謳い文句にキッパリとNO!と言わねばならなかったはずだ。
しかしどうだ。ここにあるのはピザだ。正確にはほぼピザだ。
作り方は簡単だった。(ありがとうクックパッド)
余り物の餃子の皮をプライパンに敷き詰める。さらにこれまた余り物のトマト缶をベースに調合したピザソースをそれに塗る。
作ったピザソースも大したことはない。
(トマト缶、醤油、塩、粗挽き胡椒、ニンニクチューブ、マヨ、ケチャップを適当に混ぜ合わせたやつ)
そして冷蔵庫の余り物たちの登場だ。 \ワー/ \ワー/ \ワー/
レンチンしたジャガイモ、くたびれたネギ、使い所を失ったチーズ。これらも皮の上に乗せる。
色合いも大切だ。パッと作ったスクランブルエッグも乗せよう。
あとは焼けば完成。
こう作り方を記述してみると、意外とめんどくさい。やっぱ簡単じゃない。そもそもこんなに調味料を使う料理は簡単な料理じゃない。餃子の皮も普通のうちにはない。
そんな事はともかく、食べてみるとかなりうまかった。ピザかと問われると「きりん」というくらいには程遠いが、それでも食べられない事はない。
目を瞑って食べると、まさにほぼピザ。ピザに限りなく近い餃子の皮だ。すごい。
しかしこれでわかった。ピザをピザたらしめているのはソースなのではないのか。
トマトの味とニンニクの風味。あとなんか塩系のしょっぱい味。肉なんて飾りである。ソースこそがピザの本体。私たちはソースを食べたくて大枚をはたいている。
でもピザ食べようって言って、懐から出した瓶詰めのソースを舐め始めると白い目で見られるのは必然だ。世界に多様性が広がったとはいえ、懐にピザソースを隠し持っているやつの居場所など今はまだない。
ピザの本質を知るものこそ、この世界で弾きものにされるのだ。
いったい、ピザってなんなんだ…。
まさか節約のため、冷蔵庫の余り物を一掃するために作ったピザもどきが哲学的な問いかけをしてくるとは思いもしなかった。
恐ろしい食べ物だ、ピザ。こんなにも時間を浪費させる食べ物だったとは。
次食べるときは絶対に宅配ピザにしよう。
…で、なんの話でしたっけ?