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車いすママの日常 9(私の大好きな歌)

ああああ
しあわせだ
こんなにしあわせで、ほんとうに、ありがとう。
ありがとう。
ほんとうにこころから、
ありがとうの嵐を。

という、出来事があった。

SNSが発達して、昔では考えられないほど、色々なことが身近になった。いいことも、もちろん悪いことも。でも使い方次第では信じられないほどのいいことがあるよと、実感している。

まさに雲の上の存在と、手が届かないとてもとても遠い存在と思っていた人とまさか繋がれる日が来るなんて、中学生の私は想像もできなかった。

私には、大好きなミュージシャンがいる。
中学生の頃、私の命を救ってくれた。
この人たちがいなかったら、私はきっと、私にはなれていない。
きっとここまで生きてこれなかった。
この人たちの音楽があったから、今がある。

その人たちは『上々颱風』というバンドなのだけど。

上々颱風と出会えていなかったら、私はきっとこんなに前向きに生きてこれなかった。

初めて上々颱風の歌に出会ったのは、中学2年生の時。骨折して入院していた病院の隣に建つ養護学校(現在の特別支援学校)で行われた夏祭りで、先生方が組んだバンドが上々颱風の『愛より青い海』を演奏していた。

ただひとつの歌を歌うために生まれた
ただひとつの愛を歌うために生まれた

その歌詞が、当時病気のために骨折ばかりを繰り返して歩けないどころか車いすに乗ることもままならなかった私に、将来が全く見えなくて生きている意味すらわからなかった私に、母から産まなければよかったとかお前がいなければよかったとか散々言われてもう本当にどうでもよくなっていた私に、

ずどん、

と響いた。忘れないようにと必死で、病室に戻ってからすぐティッシュの箱にメモしたのを今も忘れない。

ただひとつの歌のために
ただひとつの愛のために

なんてすごい歌なんだろうと思った。
ただひとつのことのために生きるなんて、そんなことがもしできたらなんて素晴らしいんだろう、と思った。
私もそうやって、なにかひとつのためだけに、生きてみたらいいかもしれない、と思った。

その時の私は遠くの、遠くの大きな大きななにかをつかもうと必死で、でも目の前には動かない身体や脆い骨が立ちはだかって、もう私には何もできない、もう何も希望はないと勝手に一人で悲劇のヒロインになっていたけれど、もっと近くの、もっと簡単に、ただ歌を歌うためにとか、誰かを愛するためにとか、生きるってことはもっとシンプルに考えてもいいんだ、と漠然と思った。自分の身体がどうなっていくのかが不安で怖くて仕方なくて、将来について完全な暗中模索状態の中で、そんなすごいことにふと気づけたのは、この歌のおかげでした。

それからは上々颱風の曲を聴きあさる毎日。中学2年の私は骨折が治ると自宅には帰れないまま病院の隣に併設されていた障害児施設に移され、そのまま隣の養護学校に行くことになりました。

施設では好きな時に好きな音楽を聴くことは許されない。だから施設の先生に頼み込んで唯一CDデッキが置いてあった部屋を借りて、父が買ってくれた上々颱風のCDを必死に繰り返し繰り返し聴きました。初めて聴くのにどれも好きだと感じる曲ばかりでした。

『愛より青い海』と同じくらい私の中で『流れのままに』は特別な曲で、この曲は聴いているといつも青い空とどこまでも続く緑の草原が頭に浮かんできて、ああなんか、小さいことで悩んでないで頑張ろう、と力が湧いてくる私にとってはここ一番、という時の特効薬的な曲なのです。施設で理不尽な扱いを受けて悔しかった時や、進路が決まらなくてつらかった時、職場でしんどいことがあった時、とにかくいつも泣いていた時には必ず聴いていました。同じように人生の節目で楽しいことや嬉しいことがあったときに聴きたくなるのもこの曲。私の生きてきた道には必ず、そばに上々颱風の曲がありました。

でも2013年から活動休止してしまって。
あの時は絶望感と喪失感でしばらく呆然としました。泣きましたよ。
年に数回行われるライブが私の元気の素で、ライブが終わると「よし、チャージ完了!」となり、「よし、次のライブまで頑張ろう!」と前を向く。そんな流れができていたので、まさかの活動休止は刺さりました。

そんな上々颱風が、先日6人中5人ではあったものの、再結集しました。こんなご時世ではあるものの、人数を減らしたり換気を行ったり消毒検温を徹底したりと万全の対策をとられた中でライブが行われ、そこに参加してきました。

幸せすぎて、マスクの中は常に笑っていました。こんなに興奮したのはいつぶりだろうと思うくらい、楽しくて仕方なかった。上々颱風の曲は上々颱風の人が演奏して初めて、上々颱風の音楽になる、と私はずっと感じていて、だから、ただ上々颱風の歌を聴きたいというだけではないのです。上々颱風の人が演奏して、上々颱風の人が歌っている上々颱風の曲を聴きたかった。だから幸せだった。本当に心から、幸せでした。
そして、涙も止まらなかった。

次の予定がないライブは、終わりが近づくとこんなにもつらくてたまらなくなるんだなと、初めてわかりました。そしてまた、喪失感。ぽっかりと穴が開いてしまったような脱力感に包まれていました。

しかし以前と違うのは、SNSがあること。

例えば近況を知れること。
コメントにいいねをくれること。
返信をくれること。
実はずいぶん前に私は図々しくも自分の著書を上々颱風のみなさんにお渡ししていて、初めてサイン会に参加した時は嬉しさのあまり号泣してしまったこともあって、そして車いす夫婦子連れという特殊な家族構成なこともあって、お会いした時に私だと認識してくださるようになりました。
そういうひとつひとつが、
「ああ私がここに生きているって知ってもらえている」
って実感する。
これはすごいことです。
それらがいま、すごいパワーになっています。

ただのファンの中の小さな小さな一粒だった私が、
今は存在を知ってもらえている。
そんなことが起こるなんて、想像もできなかった。まさか、上々颱風の人たちに知ってもらえるなんて。

そしてSNSを通じて、状況を知れるなんて。
完全にお別れではないこと、それが嬉しいのです。

生きているってすばらしいよ。
生きているって、すばらしい。
生きていてよかった。
生きてきてよかった。
あああああ
幸せだ。
大事に生きよう。
丁寧に生きよう。
こんなにすてきなことがあるなんて、この人生を適当に生きたらバチが当たるわ。
大事に大事に、丁寧に生きよう。
と、心底思いました。

そして今日も上々颱風の曲を聴きながら、いつか必ず、上々颱風が復活する日を信じて過ごすのです。

ちなみに息子は胎教からはじまり、幼少期の寝かしつけの歌は上々颱風、一緒に観るのはもちろん上々颱風のライブDVD、彼のライブデビューは1歳という素晴らしい教育をしてきたため、上々颱風の曲はほとんど知っています。この前のライブでレアな曲をやったので「あれ、知らなかったでしょ?」と聞いたら、「いや、聞いたことあるし。ええ、ママの英才教育のおかげでね」と嫌味を言われました。英才教育。うまいこと言う。よしよし、いい子に育っているぞ。


続く。

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